おじいちゃんの証言の補足

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昨年の秋に、盧溝橋事件の当事者であったおじいちゃんの話を聞くことが出来ました。
仮設敵役として、演習目標の一文字山の上で、演習を俯瞰していたという極めて貴重な証言です。
何度か紹介していますが、私と一緒に話を聞いていた、パソコンの家庭教師の方の補足記事を紹介します。
上の図を参照しながらご覧下さい。


支那軍の作った壕について

http://plaza.rakuten.co.jp/taishouojiichan/diary/200601300000/
盧溝橋事件のあった夜間演習の当日の昼間の隊の動きについて補足しようと思います。
昼間は図面に1番と書いたあたりで様々な演習をし、
弁当などを食べながら3番の道程をたどり夜間演習に向けて
移動をしたのだと思います。
(おじいちゃんは仮設敵なので隊とは別行動です山から動きを見ていたのでだいたいのことは
 推察できますが詳細はわかりません)

おそらく4番の河原付近で休憩や弁当(夕飯)をとろうという計画では
なかったかと思いますが、当日隊が行ってみると、それまではなかった壕ができていたそうです。

この時の事は他の方の回想にあり、相手方の支那軍の兵士が両手を広げ、ここから先に行くな
というようなジェスチャーをされ、野地少尉が支那の言葉で話しあい、河原へ行く事はあきらめ、
方向を転換したと思われます。それで壕の前にそって移動し、そのあたりに陣取ったのでしょう。

この頃の支那軍は、なぜこのような時期に、このような何もないところに急いで戦闘用の壕を掘ったのか。
しかも、日本軍が駐屯して演習を行っている土地に向けて作ったのか。

この日より前のこと、本来の演習場に行くには、
城門を開いてもらい、苑平県城の中の道を通り盧溝橋を渡らなければならないが、それを拒否され数時間待たされるという嫌がらせもあった。
そこを通って定められた演習場に行く事は、支那との間での取り決めになっているのに、おかしなことだった。

また、夜間演習の時の発砲は、なぜ、近くに居る八中隊に向けてではなく
遠くの一文字山(仮設敵の待機場所)を狙ったのか。
かなりの距離があるので、銃口を上に向けて放射線を描くように計算して撃たねばならない。

多くの回想録などの証言では、弾がどこに向かって撃たれたものか書かれていないようだ。
私はこれは仮設敵(一文字山)に向けて撃たれたものだと確信している。
実際に弾が3発近くに落ちるのを見たり聞いたりしている。
その距離から正確に撃っているのだから、大した射撃の腕前だと思う。

おじいちゃんの推測では、演習開始の合図が中隊から仮設敵(一文字山)に
向けてあり、それに応える形で、仮設敵側から合図をした、その灯りを
目標に撃ってきたのではないか。
なにもない広原、あたりは真っ暗闇である。

(パソコン家庭教師が代筆)


この『歴史の生き証人』書庫の最初の方にも紹介しましたが、当時の中国は群雄割拠の状態。一番大きな勢力であった、蒋介石の国民党軍と日本軍とは良好な関係にあったと。
また、日本軍が中国に駐屯している事も、『辛丑条約』に基づくもので、日本だけでなく、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアも軍隊を駐屯させていた、そんな状態であったとの事。
そして、内乱状態の中国では、国民党軍と中国共産党軍も戦っている状態であったと。
なぜ、日本軍と良好な関係にあったはずの国民党軍が日本軍に挑発行動をとるのか・・・


昭和11年(1936年)12月12日、中共軍討伐作戦を督励のために、西安に飛んだ蒋介石が張学良に監禁された。このとき蒋介石『対日戦争を最優先させ、共産党との内戦を停止する』事を条件に軟禁をとかれた・・・いわゆる西安事件

このあたりから、おかしくなったようですね。

そして、真夜中に起きた発砲について、おじいちゃんのレポートを見ると・・・


○演習開始のサインで明かりを回した所で発砲されている
○恐らく、この『サイン』を目標にしての発砲でしょうから、目標が一文字山の仮想敵というのは
 納得できます。
○しかし、この中国の壕から『目標』の一文字山まではかなりの距離がある。
 おじいちゃんの証言にも

かなりの距離があるので、銃口を上に向けて放射線を描くように計算して撃たねばならない。
 とあります。明るいうちに、距離を測って、大まかな照準を合わせていなければ
 一文字山の仮設敵をねらう事は出来ないでしょう。この事は、国民党軍が作った塹壕

相手方の支那軍の兵士が両手を広げ、ここから先に行くなというようなジェスチャーをされた
 という証言とも符合しますね。

やはり、このおじいちゃんの証言は重要なものだと思います。