太田実少将、最後の電文:緑のこかげさんのブログより

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沖縄の渡嘉敷島での集団自決事件は、『遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにした「創作」である』という証言を記事で紹介しました。
この事を調べる中で、『緑のこかげ』さんのブログ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/ryokuin_seidan
で、沖縄軍の司令官であった太田実少将が残した電文が紹介されています。

『声に出して読みたい日本語』というのが話題になりましたが・・・
まさにこれは、伝えてゆくべき名文です。
この行間に、沖縄県民への愛情、そして彼らを守ることが出来なかった無念さ・・・
さまざまな『思い』が読み取れます。



日本海軍 沖縄県軍司令官 大田実少将  最後の打電

 沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部、又通信の余力なしと認めらるるに付き、本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上ぐ。

 沖縄本島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面、防衛戦に専念し県民に関しては殆ど顧みるに暇なかりき。

 然れども、本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃下のもと風雨に曝されつつ乏しき生活に甘んじありたり。

 しかも若き婦人は率先軍に身を捧げ、看護婦、炊事婦はもとより砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出るものあり。

 所詮敵来りなば老人子供は殺さるべく、婦女子が後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。

 看護婦に至りては軍移動に際し、衛生兵既に出発し身寄り無き重傷者を助けて、真面目にして一時の感情に駆られたるものとは思われず。

 更に軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中にはるかに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者黙々として雨中を移動するあり。

 これを要するに陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ、ひたすら日本人としてのご奉公の護を胸に抱きつつ、遂に報われることなくして本戦闘の末期を迎え、沖縄島は実情形を変え、一木一草焦土と化せん。 糧食6月一杯を支ふるのみなりという。

 沖縄県民斯く戦えり。 県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを。

 - 日本海軍 沖縄県軍司令官 大田実少将 -



旧日本軍は、決して血も涙も無い人たちではなかった・・・
太田実少将は、この最後の電文を打ち終えた後、壕の中で自決されたとか。
その思いはいかばかりであったろうか・・・

この最後に残された、愛情あふれる電文を目にして・・・


ただただ合掌するのみです。