天皇皇后両陛下の呼び方と、新大久保での事故の事。

韓国の新聞では、天皇皇后両陛下をこう呼ぶのか・・・

天皇夫妻、5年前の約束守る…李秀賢氏追悼映画試写会に出席
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84073&servcode=200§code=200
明仁天皇夫妻が26日、東京の新大久保駅で日本人男性を助けようとして死亡した義人・故李秀賢(イ・スヒョン)さんの追悼映画試写会に出席した。

あなたを忘れない」という題名のこの映画は、01年1月26日、JR新大久保駅で線路に落ちた日本人男性を助けようとして死亡した故人の話を扱った韓日合作映画で、6周忌追悼会に合わせてこの日午後、東京の日本消防開館で公開された。

天皇夫妻が民間映画の試写会に出席したのは初めてで、明仁天皇は李さんが死亡した翌年、故人の両親を招待して慰労し、その後、試写会出席の要請を受けて快諾したといわれる。

この日の行事は、追慕映画で故人の役を演じたイ・テソンさんと父役のチョン・ドンファンさん、母役のイ・キョンジンさんら俳優の舞台あいさつと天皇夫妻の入場、試写会、追悼会の順で進行された。

行事には安倍晋三日本首相の夫人・昭恵さんのほか、森喜朗元首相、福田康夫官房長官、日本プロ野球安打王の張勲(チャン・フン、日本名・張本勲)さんら多数の著名人が出席した。 客席は招請を受けた約600人でぎっしり埋まり、上映が始まると、終始場内は粛然としていた。

東京の外交関係者らは、天皇韓国関連の民間行事に出席したことには、皇室が韓日関係の改善を希望しているという意志を表す意図があると分析し、天皇の動向が靖国神社を参拝する日本政府要人や右派にとっても無視できない圧力として作用するだろうと分析した。

明仁天皇は2005年6月のサイパン島訪問当時、韓国平和記念塔を初めて参拝したほか、日本軍国主義韓半島支配についても数回にわたり謝罪してきた。 昨年の記者会見では「戦争に反対し、平和を維持していくことが世界の中での皇室の役割」と強調するなど、「平和主義者」というのが一般の評価だ。 この日の行事出席はその延長線にあると、外交関係者らは指摘した。

これに先立ち、徳仁皇太子は22日、東京で開かれた「韓中日友情の架け橋コンサート2007」で舞台に立ち、「貴重な経験ができてうれしく思う。 日韓中の友好に少しでも寄与できれば幸い」と述べて注目を集めた。




それにしても・・・



天皇夫妻という呼び名に違和感を感じるのは私だけか。

そして・・・この行事は『韓国関連の民間行事』だったのか。


この事件、犠牲になった李さんの行動は立派なものです。そこには尊敬を覚えます。

しかし、強い違和感を覚える面もあります。



同時に犠牲になった日本人、関根さんについて語られることが少ないのは何故だろうか。
日本人が日本人を助けてもニュースにはならない。
韓国人が日本人を助けるとニュースになる。

そこに、強い違和感を感じます。


ここからは、私の実体験。

それは、18年前のこと。友人と東京(確か六本木)で遊んだ帰り。

山手線の目黒駅(ちょっと記憶が曖昧。恵比寿だったかも)で、ホームから落ちた人を友人を二人で助けました。

落ちたおじさんは、泥酔している様子で、まったく動く様子も無い。
ただ、後から考えたら、飛び込みだったのかも知れません。

山手線とは言え、深夜の事。次の電車まで時間があったので助けようと。


友人:『どうする?』
私:『助けようか』
友人:『そうしよう』
私:『俺が先に降りるよ。そんで、上がれるかどうか試す。俺一人で上がれたら、二人で降りよう。』
友人:『上がれなかったら?』
私:『俺だけ助けて。』
友人:『了解』


私の方が背が高かったので、この順番が一番安全かと。
で、降りて簡単に上がれたから、二人で降りました。

二人でおじさんを立たせ、ホームに放り上げ、そんで二人してホームに戻る。


おじさんを連れて、駅員の所に行ったら・・・




駅員:『ご苦労様。でも、危ないからやめてね。で、どこに帰るの?あ、そこなら今の電車が終電だよ』



実際はこんなもんですよ(苦笑)

線路に落ちたおじさんは、一人かと思ったら、実はホームのベンチで成り行きを無表情に見ていた女性と一緒だったようで・・・
あの無表情な顔は今でも鮮明に覚えている・・・よほど思いつめていたんだろうな・・・

駅員はその二人にもこう言ったのを覚えている。



駅員:『どこまで帰るの?横浜?じゃ帰れないね。今の電車が終電だから』




けが人が出なければ、どこまでもドライなもんです。

新大久保駅での李さんの行動は、非常に立派なものだと思いますが・・・
私は、自分の体験を踏まえたうえで、この話に違和感を感じてしまいます。