長崎市長選挙に思う

現職市長が射殺されるという悲劇に見舞われた長崎市長選挙。その結果は、『世襲』を批判して立候補した長崎市の職員である田上さんが当選という結果でした。
以前に、『伊藤市長の志を受け継ぐという事なら、これまで一緒に行動してきた人が望ましい。何故世襲なのだろう』という事を書いたのですが、やはり同じ思いの方が多かったのでしょうか。

長崎市長選>人と人を結ぶ「のび太」 田上さんの素顔
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070423-00000050-mai-pol
 立候補していた現職市長が射殺されるという異常事態の中での長崎市長選。初当選した元市統計課長、田上(たうえ)富久氏(50)は一夜明けた23日朝、市役所で記者会見し、953票差の大激戦を振り返った。亡くなった伊藤一長市長(61)の「後継」を掲げ、わずか3日間で課長からトップに上り詰めた田上氏は、どんな人物なのか、市民は何を期待したのか。事件の衝撃がさめやらないまま25日、新市政が走り出す。【横田信行、長澤潤一郎】
■市民力発揮
 「市長としての仕事が始まると思うと身の引き締まる思いです。実感がわきつつあります」。田上さんは午前8時から記者会見し、心境を語った。「リーダーは市民の中から選ぶという市民力を発揮してくれたことです」と勝因を分析した。
 伊藤市長の後継を主張してきたが、手法の違いを問われると「伊藤市長はアイデアマンでいろんなことを実現してきた。私はいろんな人と話す中でヒントをもらって見つけていく」と説明した。
■ピカ一の能力
 「自分の意見をきちんと持っていて、意外に頑固」というのが上司や同僚の一致した見方。日本初のまち歩き博覧会「長崎さるく博」(06年)の進め方を巡って、伊藤市長と衝突したこともあるという。23日の会見で、伊藤市長との違いを「市役所で26年半、仕事し、働く者の立場や感覚が分かる。どこをどうすればよくなるかも分かっている」と話した。事件でかじ取り役を失った市役所内では「即戦力」として、指導力に期待が集まる。
■口コミ徹し
 市役所では、広報や観光畑で活躍した。その時培った人脈が手弁当で選挙応援を始めた。若手経済人が選対を買って出て、ポスターや看板、チラシなどは知り合いの印刷業者などが担当した。出馬を決断したのが18日夜で、翌19日夕方までに用意してもらったという。
 立候補すると聞き支援するかどうか見極めようと面談した長崎商工会議所の幹部は「会ってみたら商店街活性化や観光イベントで一緒に汗をかいてくれた人だった。名前と顔が一致しなかっただけ。まさかあの人が出るとは思わないから」と笑う。
 自前の組織はゼロ。ハンドマイクを片手に回り始め、選挙カーを調達できたのは投票2日前の20日午後3時。時間不足で、支援に回った経済界や市民が頼ったのは携帯電話とメールを使った徹底した口コミ作戦だった。
■距離縮める
 田上さんは会見で「市民と気楽に話す機会をできるだけつくりたい」と話し、市民と市役所との距離を縮めたいという考えを強調した。
 被爆地として常に注目される平和については「世界中に発信する方法を考えたい。必要なことは国にも訴えていきたい」と話した。
 また、行政対象暴力について問われると「暴力をいかになくすかという視点で現実的な方法を検討する必要がある」としつつも、自身への警備は「できるだけフリーに動きたい」と述べた。

接戦では有ったようですが、結果的には、『相応しい方』に決まったように思います。
一方、伊藤市長の娘さんと娘婿さんのコメントはと言うと・・・


長崎市長選:事件に配慮、万歳控え 田上氏
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070423k0000m040113000c.html
長崎市長選に当選し支持者らと抱き合って喜ぶ田上富久氏(中央)=長崎市元船町の選挙事務所で23日午前0時7分、矢頭智剛撮影 長崎市内の田上さんの選挙事務所では、当選確実になると歓声が上がった。ただ、死亡した伊藤市長に配慮して万歳は控えた。田上さんは「市民と市職員の力を生かし、こういう事件の後こそ『市民力』を発揮する時」と喜びを語った。

 田上さんは「肉親の情と自治体運営は違う。市職員としての弔い合戦だ」と出馬を決意し、退職金を選挙費用に充て、背水の陣で臨んだ。26年半の市職員生活では06年に日本初のまち歩き博覧会「長崎さるく博」を発案、企画し、延べ1000万人を集めるなど広報や観光畑で活躍。培った人脈が草の根運動の核になった。

 一方、伊藤市長の長女の夫で西日本新聞記者の横尾誠さん(40)は22日午後11時50分ごろ、長崎市内の選挙事務所に伊藤市長の長女で妻優子さん(36)とともに喪服姿で現れ、涙ぐみながらあいさつ。伊藤市長の大きな遺影が掲げられた会場で、横尾さんは「伊藤市政への期待をあんな卑劣な暴力で止めるわけにはいかないと立候補した。私のいたらなさでこんな結果になり、本当に申し訳ございませんでした」と頭を下げた。

 優子さんは「本当にありがとうございました。父伊藤一長はこの程度の存在でしたか。父は浮かばれないと思います。残念です。父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」と声を詰まらせた。

 横尾さんは、東京での記者生活を休職して補充立候補した。1000を超える団体推薦や伊藤市長の後援会組織を受け継ぎ、遺族が喪服姿で街頭に立つなど、徹底して情に訴えたが及ばなかった。

 ◇無効票は約1万5000票

 長崎市長選の無効票は約1万5000票あった。中には死亡した伊藤市長に投票し「伊藤市長さんありがとうございました」などと書かれた票もあったという。無効票の中には、期日前を含めて伊藤市長に投じた票が多かったとみられる。

ちょっと待ってくれ。

>「本当にありがとうございました。父伊藤一長はこの程度の存在でしたか。父は浮かばれないと思います。残念です。父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」
動画⇒http://webnews.asahi.co.jp/news_meta/ann/20070423-170423000-501-300.asx
『父一長はこの程度の存在でしたか』という言葉の意味は何だ?父の存在と、娘婿である横尾氏の市長選挙と何の関係があるのだろうか。

>『父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした』
仕打ち?どういうことだろうか。難しいけれど、こう考えて見るか
『その仕打ちは誰から受けた仕打ちなのか?』
①横尾氏を当選させなかった長崎市
②今、目の前にいる報道関係者

もし、②であれば、ある程度納得できる。しかし、不用意な発言である事は間違いない。こういう『誰かを非難する』ような言葉を発する時は、『何に対して非難しているのか』を明らかにしなければ、大きな誤解を生むのではなかろうか、と。そして、もし①であったとしたら・・・


肉親が亡くなって動揺していると言え、最低の発言だな。

今回残念ながら落選した横尾氏のコラムが公開されている。

横尾記者の読書歴
ttp://www.nishinippon.co.jp/media/A-3000/9801/book/yokoo.html
平成11年2月10日

男は剥けていなくてはならない。たばこはハイライトと決めている。偽善が嫌いなのは人一倍。でも時に自らのふるまいが偽悪的であることに思い当たる。なんとも恥ずかしくやりきれない。うんちくを語るのはくだらないが知識慾は旺盛な方だ。あと凝り性でもあるな。ぬー、そうすると実は俺は「うんちく嫌いという単なるスタイリスト」なのかもしれない。実にみっともない。あーそれと犬と猫、どちらが好きかと問われれば、迷わず猫。でも昔、飼ってた猫、殴り殺したことがあったんだ俺。

 ここのところ花村萬月をかため読みしていて、登場人物の設定なり、作者のあとがきなりで、やたらと重複する表現(というか設定かな)が目に付き、ちょっこらメモ書きにしてみました。あまり意味ないですか。その通り。しかし私自身は自らと重なり合う部分も結構あることが分かり自己満足。

この記事の中で、『昔、飼い猫を殴り殺した事があるんだ俺』と書かれているのが、この横尾記者の経験であると、2ちゃんねるで話題になってましたが、読んで見ると、花村満月さんの著書を読んでのメモ書きとも読み取れる・・・
文章を書く事を生業とする記者であれば、引用はそれとわかるように『かぎかっこ』を付ける等考慮することは常識だと思うけど
いずれにしても・・・

政治家としては、言葉の使い方が駄目な方のようで。

それから、もう一つ。。。


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何故、悲しみの中の出馬で半笑いなのだ。

ま、長崎市民は賢明な選択をされたようですね。