百年前の教科書に、彼の国はどう書かれていたか。

昨日、の記事で一部紹介しましたが、たまたま寄った古本屋で、明治時代の教科書を手に入れました。


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明治36年の中東国語読本、明治39年の帝国中学読本、そして、明治39年の外国新地理の教科書です。
明治36年といえば、小学校の国定教科書が初めて発行された年だとか。これらの本には、『文部省検定済み』と明記されています。これらの本は国定教科書の前の、検定教科書と考えて良いのでしょうか。当時の中学校とは、現在の高校生でしょうかね。

教科書なんかを見て、何が分かるのか?そう思われるでしょうが・・・
国民に対して、どのような教育を行っていたのか。
それを見ることで、当時の政府がどのような国作りを目指していたのか、分かるのではないか、と思うのです。


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この特定アジア書庫で紹介するのに、まずは、当時の『外国新地理』で、当時の朝鮮や、中国がどのように描かれていたのか。コレを見てみたらどうかと。日本が朝鮮半島を併合したのは、明治43年の事。その6年前に、朝鮮はどのような国と描かれていたのか。その後の展開を見直す時に参考になるのではないかと。


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概要の後、最初に登場するのはお隣の朝鮮のこと。本当はスキャナーの方が読みやすいのでしょうが、何しろ100年以上の前の本の事。スキャナーを使用するのはちょっと難しいので、昨日のデータの他は写真で紹介します。

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気候については、我が国に比較して寒暖の差が著しく、例えば仁川では、夏には蝋燭が曲がるほどであるが、冬はビール瓶が割れるほどである、と。

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北西地方の鴨緑江は、清国との境を限り、その上流は、松・樅・などの森林深く、ロシアはこれに垂涎している。
この頃から、ロシアに狙われていたという事でしょうかね。

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生業:中部以南には、山林の乱伐の為禿山が多い。鉱業については、各国が競って採掘権を得つつあるが、現時点では金がわずかに取れるのみ
上の段に、このように注記がある。
朝鮮人は犬の肉を食い、皮を敷物となす
と。
交通:我が国の経営により、漸く発達するようになった。京仁、京釜、京義の三線は、今や前線開通した。水運も日本郵船会社、大阪商船会社などの汽船があたり、郵政についても我が国にゆだねられている。

この時点では、まだ併合されておらず、保護国の状態のようですが、やはり多くの投資がされていたようですね。そのわりに、『資源』ってのはあまり無いようで。

我が国との貿易額は、輸出入総額の大部を占めている。ゆえに、日韓両国の関係は、経済上からみても一日も離れるべからずなり。
この頃、朝鮮半島は、日本との貿易額が非常に大きかったようで。そのことからも、関係を深める必要があると書かれている。

今は、対日本の貿易額はそれほど大きくないと言えるのではないかな。


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住民:厳然たる階級ありて、今なお奴隷が存在し、両班(貴族)は社会上の最高位を占む。韓人は、白衣を被り、冠を戴き、衣冠正しく、一見高潔閑雅なるが、午睡を貪り、過度に喫煙をなし、優柔不断、徒に遊興にふけって、真に亡国の民なるが如し。



えらく辛口です。


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我が国は、貧弱な朝鮮の独立を保全し、かつ東洋永遠の平和を確保先と欲し、義軍を挙げて清国やロシアを追い払い、今や我が国の指導により一台刷新をなしつつある


なるほどね。まあ、コレを見方を変えれば、侵略という事になるのか。でも、たいした資源も無い国に、鉄道を敷いて、圧力をかけていた清国やロシアを追い払い、指導をする・・・

本当にお人よしだと思いますね。

そして、何より驚きなのは・・・


100年前の教科書って、今の日本人でも『読めてしまう』のね。これは、他の国ではありえないのではないかな。
ある意味、コレも日本のすごさなんだろうか。