臨死体験、最終章

こんにちは。
年末に伯母が買い物中に転んで、ひざの骨にひびが入り、正月明けをまって本日入院いたしまして。
その病院は、とっても近代化されていましたが、私が高校生の時に1年間入院していた病院でした。
 
84歳の伯母を車椅子に乗せて病室に連れて行きますと、問診をする看護婦さんが・・・
 
『こちらが妹さんで・・・こちらは弟さん?』
と、衝撃発言をなさいまして。
 
『はい。弟のもあい、74歳です』
って答えときました。
『あらぁ~ごめんなさいねぇ・・・(汗)』
って言ってましたけど、まあ、その看護婦さんよりは年上でしょうから文句は無いですけどね。
胸の中では、不動明王のように炎が燃え上がりましたけども。
 
その病院。ここの看護婦さんは、あの頃と同じようにきびきび働いてました。
 
イメージ 1
まあ、近代的な建物に変わっています。
 
すこし、あの頃の面影が残っている建物は・・・・
 
 
イメージ 2
 
 
イメージ 3
 
これが昔の病棟の名残かも。もっとボロかったと思ったけども。確か、旧海軍の病院を使っていたはず。
 
この病院に一年間入院し、リハビリを終えたあと、約一年。大腿骨に入れたプレートをとるために手術をすることになった。
多分、今頃の季節だったと思う。
うちの伯母は、手術で入れる金属は入れっぱなしになるらしい。でも、当時18歳の私は、『早く取ったほうが良いよ』って言われていた。
 
手術前のヒアリングの時のことを覚えている。
前にいた鹿児島市内の整形外科の病院では、『下半身麻酔』で失敗して下半身不随になり、一生車椅子生活という人が二人もいたんですよ。
せっかく、奇跡的に命を拾い、そんな目にあったらたまらない。
 
正直な思いを、お医者さんにぶつけたのですよ。
その時、担当の医者がいうことにゃ。
 
『不安はわかるけどね。私は麻酔の専門医なんだ。全身麻酔というわけはいかんし、部分麻酔じゃ麻酔薬が多くなる。骨には麻酔が効かないしね。硬膜外麻酔が一番安全だと思うよ。』
 
やさしく、また自信たっぷりな先生のお言葉に、『じゃ、お任せします』って口にしました。
 
当日、背中に麻酔を打たれ、そこから管を入れて麻酔を入れるわけです。
そして、手術室へ。
 
手術室に入って、胸に固定された注射器から、麻酔薬が注入される、と。
 
15分から20分たった後、執刀医の先生が、アルコール綿で右足をさっとぬぐい、『感じる?』と聞く。
『感じます』と私。
『もう少し様子を見ようか』と先生。
・・・・30分
 
アルコール綿で右足をさっとぬぐい、『感じる?』
『思いっきり感じます』と私。
『ちょっと足を動かしてみて』と先生。
動かす私。『・・・・動くね~』と先生。
『もうちょっと薬を入れようか・・・』と。
 
このやり取りが4回くらい続く・・・
『なんで、薬が効かないかね・・・』と頭を抱える先生。
 
手術室に入ってから確か2時間以上・・・周りを動き回っていた看護婦さんが、どうやら左足に当たった様子。
左足が手術台から落ちる。持ち上げようとしたら、左足が動かない
 
『先生、ひょっとしてですけど、左足は麻酔がかかってるみたいですが。』
『なぁんだってぇ~~?』と先生。
左足にアルコール綿を当てると『まったく感じませ~ん。』と私。
 
信じられないことに、手術する反対側の左足は麻酔がかかり、右足は麻酔がかかってない。
 
『手術台を傾けよう』と先生。
『傾けられるんですか!!』と私。『いろんな角度に動くんだよ、手術台は』と先生。(これ、豆知識ね)
 
でも、右足には麻酔がかからないまま約3時間
 
『先生、部分麻酔でやればどうですか?』と私。
『痛いけど、我慢できるかな』と先生。
 
まー飽きてきましたしね。手術室で傾いたまま寝かされてるのにも。
骨に麻酔が効かないとかいう話は忘れてました。
 
右足の太ももに、ぶちぶちと注射がされて、右足の感覚はなくなりました。
執刀開始。筋肉が切り裂かれてるんだろうなぁ~って、音と会話が聞こえてくる。
『ん~プレートに筋肉が巻き付いてるな・・・』
とか。そのうち、ゴリゴリ言う音と歯医者でドリルを当てられたような疼痛。
 
『これから外すからね』と先生。
その直後、とんでもない痛みが
ただそれは長くは続かない。『一本取れたよ』と先生。あと、何本あるのよ。
 
とりあえず、ビスをとるたびに激痛。ちょっと頭がふらふらしてくる。
 
『先生、***の数値が』と看護婦さん。心なしかちょっと青ざめた様子。
『***を投与して』と先生。
 
なんか、注射されると、えらく気持ちがいい
『先生、今の、何の薬ですか?』と私。
『君はそんなことは気にせんでもいいから。』と先生。
 
その注射の後、ちょっと楽になりましたけど。
 
足のプレートを外す手術に4時間かかりました。手術に立ち会ってた看護婦さんはその後
『あの手術は痛そうだったね・・・』
って言ってましたっけ。
 
 
イメージ 4
 
退院の時にもらったプレートとビス。ビスは非常に軽く、鋭い感じ。
アルミかと思ったけども・・・チタンかな。
 
プレートは、俗説では『金』とか言われてたけども、まあSUSでしょうね。
今でも表面は酸化しないで光ってます。
 
プレートの裏とビスの一部には私の骨片つき。
まあ、鹿児島に帰ってきたときに自らの戒めとして見たりするんですが。
 
これが、私の命が消えかかったときの証拠の品になっています。
 
 
まあ、こんな経験が誰かのお役に立てれば、と。
痛い思いだけは誰よりも積んできたつもりなので。 
 
(*あくまでも個人の経験です)
 
 
にほんブログ村にてランキング挑戦中。
↑バナーを応援クリックよろしく。