「添え文」

昔、お気に入りだった掲示板から、勝手に引用を始めた歎異抄
とうとう最後の添え文を残すのみです。

法然上人が他力本願の教えを広げ、その教えが急速に広がったのでしょう。

『どんな罪人であろうと、救う』
と発願された阿弥陀如来のお力にすがって、念仏せよ。
そうすれば、身分の差に関係無く極楽浄土に行く事が出来る


この教えは、当時の人に、驚きと熱狂をもって迎えられたのかも知れません。

当然、それを快く思わないものもいる・・・・

法然上人、親鸞上人ともに罪をきせられてしまいます。
その経緯が添え文に記されています。


そして、戦国時代、一向宗を率いて国を治めた本願寺蓮如が最後に加筆しています。

『この本は、わが教団の最大の聖教である。心のある者以外に見せる事はまかりならん』と。

そりゃそうです。歎異抄に書かれている内容を読めば・・・

指物を振りかざして一向一揆など、ありえねぇ
って事になりますから。
私の中で、一つどうしても納得できない事があるとすると・・・


『どんな悪人でも救う』という阿弥陀仏の本願

それはどうなのよ?と思うのです。言ってる事は分からんでもないが・・・

凶悪な犯罪者でも、救うのか?救う必要ないだろ?

でも、最近気がついたことがあります・・・



どんな罪人も『救う』とは言っているが・・・
   『罪を許す』とは一言も言っていない・・・


この辺が答えなのかも知れませんね。

私の解釈です。
救われる=許されるでは無い。救われるものは、罪を背負ったまま救われるのです。
罪はあくまで罪のまま。ただ救われる・・・その罪が消えるわけではない。
罪が許されて、消えるまでは・・・
恐らく相当の隔たりがあることでしょう。


以上、投稿後に加筆しました(^^)




歎異抄に倣って、この記事は他見を許さず・・・
この添え文以外は、お気に入り登録してくださっている方にのみ公開とします。
この記事に関して、宗教論争をするつもりはありません。
従って、せっかくコメントいただいても削除させていただく可能性があること、ご理解下さい



「添え文」

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後鳥羽院の治世、法然聖人は他力本願念仏宗を興す。
興福寺の僧侶、これを敵み、御上に奏上す。
曰く「念仏宗門徒どもに不穏の動きあり。」

無実なれども風聞によって罰せられた者は次の通り。
一・法然聖人および弟子七人は流罪。また、御弟子より四名が死罪に処せられる。
法然聖人は土佐の国番田というところへ流罪。罪を受けるにあたっての俗名は藤井元彦。齢七十六。
親鸞は越後へ流される。おなじく俗名藤井善信。三十五歳である。

浄円房は備後。
澄西禅光房は伯耆
好覚房は伊豆。
行空法本房は佐渡
幸西成覚房および善恵房の二人も同じく遠流。

これらのお沙汰は、無動寺の善題大僧正が承り、申し伝える役割を仰せつかった。
遠流を受けた者は、以上八名にのぼるという。

またさらに死罪に処せられた者は次の通り。
一番 西意善綽房
二番 性願房
三番 住蓮房
四番 安楽房

二位の法印尊長、之を沙汰す。

親鸞はこの時、俗名を名乗ることを強いられる。
しかれども、僧にあらずも俗にあらずとの意を込めて、「禿」を姓にし、俗名として届け出た。
ついには、親鸞の申し出は受理され、いまだに外記庁には、その文書が保存されているという。

流罪以後の署名は「愚禿親鸞」と書かれるのが常である。




このことは、念仏門のモノ、我が教団にとって最大の聖教と心得るべし。
善機を持たぬもの、左右無きものにこのことを教えることまかりならぬ。

            (蓮如の署名捺印)

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