小野田さんの証言・・・

ふと思い出したんです。記事にしようと思って忘れてた事・・・
先日、確か土曜日かな・・・夜のBSの番組で小野田さんのインタビュー番組をやってました。
最初の部分は見損なったのですが、ずっと見入ってしまったのでした。

これまで、いくつか疑問に思っていた事が、解決した思いです。
それは何か?


なんで、30年間も山にこもっていたのかって事・・・

小野田さん曰く・・・

陸軍中野学校では、本当に自由闊達な議論がなされていた。国家とは何か、それについて常に問われていた』
『無条件に天皇陛下をあがめる、そんな事では命を捨てることは出来ない。だから、「国家とは何か。」この問いかけに答える事が出来るよう、徹底的に議論していたのだ・・・』

『フィリピンに赴くにあたって、ありのままの戦況をすべて明らかにされ、任務を与えられた』
『戦争は負ける。日本への米軍上陸は防げないであろう。』
『残る戦法は、中国大陸に残った軍隊が、ゲリラ戦を取るくらいしかないであろう』

『フィリピンに渡り、40数名の部下を率いて、数年分のゲリラ戦が可能な装備をもってルバング等に入った。その後、米軍が上陸して大きな被害を受けた。隊を3人ずつに分けてゲリラ戦を行った・・・』


『戦争終了のビラを見て、敵の謀略だと思った。恐らく、日本本土には傀儡政権が出来ているのだろう』

『戦い続けるのが使命だった。だから、隠れているだけではダメだ。時々、姿を見せねばならない』

『捜索隊の残した新聞や、住民から盗んだラジオで情報収集を行った。』

『そうして、5年ほどたったら、米軍の動きが活発になった。戦闘機が飛んだり戦艦の往復が激しくなる・・・後から思えば朝鮮戦争だったんだろうが、日本による反撃がはじまったのだと思った』

『その後も、米軍の動きが活発であった。日本との戦争だと思っていたが、ベトナム戦争であったようだ・・・』


まさに、『本当に戦いは続いていた』のです・・・
日本では戦争が終り、平和な日々が続いていたのですが、朝鮮戦争ベトナム戦争の時、米軍はフィリピンも補給地としていたのでしょう・・・
その米軍の動きをみて、『日本の反撃が始まった』そう思い、当初は3人、後にフィリピン軍の掃討作戦で一人が亡くなり、小野田さんが発見されるほんの数年前まで2人。
最後に残った方も、フィリピン軍の掃討作戦で亡くなり、その事をきっかけに、小野田さんが生きているとの情報が明らかになった・・・

歴史の皮肉ですが、小野田さんたちは、戦後も山の中にこもり、ただ隠れていた訳ではなく戦い続けていたと言う事実に、ただただ驚きました。

80歳を過ぎて、真直ぐに伸びた背中で、ブラジルの農場で働き続ける小野田さん・・・

まさに侍の姿を見た思いです

思い出したままに脈絡無く綴って見ましたが・・・

今の日本人が無くした物を、見せ付けられた思いです。


小野田さん、リスペクトっ!!