うちの両親の戦争体験。

vernichterさんのブログの記事で、沖縄戦での『いわゆる集団自決命令』の事実についての証言者の記事が書かれています。ちょっと紹介しましょう

第二次大戦末期の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で、軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)が、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。

 照屋さんは、旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の
 支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や日本政府南方
 連絡事務所の担当者らで、集団自決犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。

 同法は、一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いと
 する案が浮上。村長らが、赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。照屋さんらは、赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。

 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の
 悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」
と話している。

 渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記され
 知られるようになった。大江健三郎さんの「沖縄ノート」では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。
 その後、作家の曽野綾子さんが調査を基にした著書「ある神話の背景」で軍命令説への疑問を提示。
 平成17年には赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版差し止め、謝罪広告掲載を求める訴えを起こしている。(一部略)

 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/16661/

これのスレッド
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1156677788/


-----------以上引用----------------

さて、今週の帰省中の事。沖縄戦をテーマにしたドラマが放映されてました。
その始まりを見ながら、戦争体験者である父と母に戦争の頃の話を聞いてみたのです。
ちょっとまとめて紹介しましょうかね。


父は、鹿児島の隼人町で生まれ、母は国分で生まれています。
国分には、当時、海軍の航空隊の基地があったそうです。
現在の自衛隊国分駐屯地を中心としたところと、現在の鹿児島空港のそばにあった、十三塚原というところにある第二国分基地。どちらも、特攻機が飛び立った基地です。

今よりも広大な敷地を持っていた旧海軍基地。今の私の実家が有るところは、当時の海軍基地の敷地内だとか。自宅の敷地掘ったら、不発弾の2~3発出てくるかも知れませんな。(笑)

海軍の基地があるって事は、攻撃目標になるという事。
ひなびた田舎であった国分、当時の小村地区は激しい攻撃に晒されたとか。

じいちゃんは、漁師と農業をしていたとか。作った農作物は、馬で海軍基地に納めていたとか。
戦争末期になると、海軍でも物資が不足する。食べ物も不足してたのかどうか分からないけれど、夜になると、若い兵隊さんがじいちゃんの家を訪ねて来たのだとか。
『おなかが減ってどうしようも無いんです。何か食べさせてください』と。
ばあちゃんは、兵隊さんを家に入れて、見回りの人に見つからないように『戸袋』に入れて、握り飯を食べさせていたそうな。見回りの人が居ないのを確かめて、兵隊さんを送り出すと、何度も何度も頭を下げて走って基地に帰って行ったのだと。
そして、毎晩毎晩、入れ替わりに握り飯を食べにくるのだそうな(笑)

いよいよ戦況が悪くなり、攻撃が激しくなってくると、じいちゃんは実家の敷地にあった小屋を壊し、兄弟の多い母たちを疎開させようと、それを山の方に運んだそうな。
母ちゃんたちはちょっと山手のほうで組み立てた小屋で疎開していた。

そうしているうちに、米軍の大空襲が襲った。大空襲といっても、鹿児島にあった国分基地周辺への爆撃。東京への大空襲とは規模が違うけど、鹿児島の片田舎への爆撃とすれば大変なものだったんだろう。
母によれば、『国道から北の家は全部焼けてしもうた』そういえば、国道から海側には古い家が残っていたけれど、国道より山側には新しい家ばかりだったなぁ・・・

空襲の被害にあった人たちは、母が疎開していた山の方に逃げてきた。
全身を火傷して『痛い痛い』と言っている人たちが可哀相で、ばあちゃんは移築した小屋を怪我している人に使ってもらい、ばあちゃんと、母たち兄弟は外で暮らしたのだとか。

しかし、雨もふる中外で暮らすのはあまりにもつらく、実家に戻ったのだと。
母の実家は国道よりも海側にあったので、被害は無かったとか。

『家に帰るときにねぇ、空襲で焼け残った家の五右衛門風呂で、兵隊さんが豚を煮て食べてるのを見たよ。よっぽど腹がへってたんだねぇ(笑)』
と、のんきな事を言う母・・・(笑)まあ、空襲で焼け死んだ豚を食べたのかも知れませんねぇ。
飼い主はこれを知ったら怒ったのかなぁ、それとも仕方が無いってあきらめたかな。

実家に帰っても、米軍の攻撃は続いているので、じいちゃんは近くの川の堤防のところに防空壕を作って、みんなそこに隠れて暮らしたのだそうな。

じいちゃんの家では、馬を飼っていた。空襲があっても、餌をやらないと馬は死んでしまう。もちろん、爆弾でやられるかも知れないけど、そんな事は考えないで毎日草を刈って食べさせていたそうな。

その日、馬の餌の草を刈っていたのは、母と、徳二伯父さん。
鹿屋の方向から飛行機の音が近づいてきたと思ったら、低空飛行になって母と徳二伯父さんに機銃掃射を始めたとか。

『ダダダダッって音がして、お母さんの30センチくらい横を機関銃で撃って行った。本当に怖かった』
と。
『徳二伯父さんも、今でも言うもんねぇ・・・「あん時は怖かった」って』

今と違って、低空飛行の目視で攻撃を行ったであろう米軍機。


当時、9歳であった母と、12歳であった私の伯父を、米軍兵は戦闘員だとでも思ったのかね?

とにかく、その時の機銃掃射がほんのちょっとずれてたら、今私はここに存在しないわけだ・・・
その時、9歳の子供であった私の母に機銃掃射を浴びせた米軍兵が分かったら、問いただしたい。


君は、わずか9歳の女の子と12歳の男の子に機銃掃射を浴びせた。
その行為を、君は正しい行為だと言えるのかねと。
君は、戦時下と言え、子供に銃を向けて発砲した人間だ。
私の母を殺そうとした人間だ。私は絶対に君を許さない

と。
母の話は続く。


『爆撃があって、米軍機が帰っていく頃になって、ようやく戦闘機が飛んでいくんだよ。爆弾を落とされてから追いかけてもなぁ・・・』
恐らく、攻撃を予測する能力があれば、爆弾を落とす前に攻撃するだろうけど・・・
もう、防空体制も崩壊してるだろうし、燃料も無いだろうし・・・
後から追いかけるほかなかったんだろうなぁ・・・

日本の戦闘機が後から追いかけて飛んでいくってのは、隼人に居た父も言ってたなぁ・・・

父曰く・・・

父:『隼人の畑には、麦わらで飛行機が作ってあったなぁ』
私:『おとり?』
父:『そう、無駄に爆弾を落とさせるためにな。でもな、よく出来てたぞ(笑)ちょっと見た感じじゃ
   本物と見分けがつかんかった』

日本人はやはり、物づくりにこだわるんだなぁ、と感心した私・・・

父:『この辺はな、竹やりが空に向けてびっしり立ててあった

爆撃機に対し、竹やりで立ち向かうっていう漫画のような光景かと思ったら、ちゃんと意味があるのだとか。

父:『竹やりで飛行機を突くとかいって馬鹿にするけどな、意味は有るんだよ。落下傘で米兵が
   降りてきたとき、串刺しにするってのが竹やりの意味だ。

私:『へぇ~でも、落下傘って下りてきたの?』
父:『いや、降りてはこんかった(苦笑)米軍の方がはるかに頭が良いからな。
   奴ら、まず爆撃して焼け野原にしてからせめて来るだろ。』

さすがに九州最南端とはいえ、鹿児島での地上戦はありませんでしたしね・・・



沖縄のドラマを途中まで見ながら、聞いた話をちょっとまとめて見たんですが・・・
戦争の被害者が一般の人たちであるという事はその通りなんだろう。
そして・・・



一般の人たちを戦争に巻き込んだのは・・・いわゆるA級戦犯の責任なのか?
私は、父母の話を聞きながら思った。
アメリカ軍の行った事の残虐さを


こう言うと、ラマさんのような人はこう言うんだろう。

『日本が中国や朝鮮で行った事と同じですよ。いや、日本はもっとひどい事をしましたからね』

しかし・・・



盧溝橋事件の体験者であり、南京城陥落の直後に南京に入った経験を持つ、おじいちゃんの話を聞いた今は、その言葉は受け取れないな。
もちろん、巻き添えの被害はあったんだろうが・・・

うちの母は完全に米軍機に狙われていた訳で。


だからといって、今、アメリカとの関係を見直すべきだとは思わない。
なぜなら、彼らは今、見方であるわけで。

しかし、母を狙った米軍機のパイロットだけは、個人的に許せない。

なんだか、上手くまとまらないけど・・・まあ、良いか(笑)