タウンミーティング問題について考えて見る

以前、タウンミーティングやらせ問題、そんなに問題か?』という趣旨の記事を書いたのです。
その時の私の主張は次の通り。



○大体、『タウンミーティングやりますよ~来てくださいね』と声をかけたところで・・・
 一般の国民はまず行かない。
○主催者側は、それは困る。タウンミーティングと言う形を取ったとして、それは政府の考えている事を
 国民に伝えるための機会であり、また、その場で国民の意見を吸い上げる場である。
○仏教で、赴機問(ふきもん)と言われる問いかけがある。自分は理解しているのだけれども
 聴衆に分かるように、あえて自分は理解している事を問いかけるといったもの。
 ミーティングをスムーズに進行するために、こうした方法を使って議論をリードする事はどこでも
 行われている事ではないのか?
○このようなミーティングの場に、『一般の国民はまず行かない』という事は述べた。
 では、どのような人が参加するのか。『自らの政治的主張を述べる機会を待っている集団』
 である。『社会主義的な主張を持つ人たち』が、タウンミーティングに動員をかけたとする。
 政府が議論をリードするためのサクラとして動員を行った事と、組織的にタウンミーティング
 参加し、あたかも自分達のグループの意見が国民の意見の如くリードする事は同じではないのか?

 方ややらせと呼ばれ、方やは批判されない。これはちょっとおかしい。
 組織的な動員があったなら、それも世論を誘導する行為ではないのか?


この辺の疑問について、産経新聞の主張で、次のように語られている。

【正論】慶応大学教授・曽根泰教 タウンミーティングと「国民の声」
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061216/srn061216000.htm
 ■抽出した市民で集中討論をしては?
 ≪「やらせ」か「世論誘導」か≫
 タウンミーティングに関する厳しい批判と「調査報告書」に基づき、安倍首相らは「けじめ」として報酬返納を決めた。このタウンミーティング「やらせ」があったから問題なのだろうか、「世論誘導」に問題があるのか、それとも、謝金を払ったことが問題か、費用の掛けすぎが問題か、役人の準備のし過ぎに問題があるのかを整理しておく必要がある。

 まず、小泉内閣は政府と市民の双方向の直接対話を行おうとしたが、それをニューイングランドで行われていた住民集会の「タウンミーティング」と名付けたことに問題があると私は批判してきたし、それは政府の施策の「お知らせ」の場と最初から思っていた。しかし、政府の「タウンミーティング」にそれ以上の意味を見いだせると誤解した人が多かったから、今こんなに批判があるのだろう。

 役人はこの種のイベントから、審議会、国会の質疑にいたるまで、滞りなく運営できるように準備をし過ぎる習性があることは、それほど驚くことではない。

 問題は、政府広報とは何かについて明確な理解がなされていなかったことにあるのではないか。

 それは、政府の施策のお知らせなのか、国民への説得なのか、世論の誘導なのか、結果から見れば、担当者の考える「広報」とは、「伝達」と同義だったのだろう。

 ≪関心の高い人のみの集会≫

 しかし、双方向のコミュニケーションの場をタウンミーティングに見いだした人は、その場は国民からの意見が吸い上げられていると思いこんだことにある。

 実は、この種の意見を吸い上げる場の設計については、コンセンサス会議や市民陪審など国内外において、各種の試みがなされてきた。だが、コンセンサス会議も公聴会タウンミーティング「手を挙げた人」を対象とする。ということは、関心をもっている人からなる集団によるコミュニケーションであることを理解しておくことが必要である。確かに、パブリックコメントや都市計画の時に異議申し立てができる制度などは、利害関係者が誰でも発言できる機会を設けるということでは意味があるが、国民の声を聴くということとは同じではない。

 もう一度、「国民の声」を聴くという役割をタウンミーティングに求めるとどうなるのかを、簡単な例から考えてみる。少なくとも「やらせ」や依頼がなく、自発的に参加した人でさえ相当関心が高い人だろう。だが、その人達の声を「国民の声」としたのでは、広く国民との対話という前提が大きく狂ってしまう。

 例えば、世論調査の回答者や裁判員の選出を、手を挙げた人たちから行ったとしたらどうなるだろうか。少なくとも世論調査では、母集団が「関心のある」特定の集団となり、一般の国民を測ったことにはならない。裁判員制度でも「やりたくない」人を最初から除いてしまうので選出はしやすいが、それでは国民の参加とはいえず、「裁判好き」の人たちからなる裁判員制度になってしまう。

 と考えてくると、客観、公平という条件もさることながら、いかに「代表性」を維持できるかどうかに、この種の制度はかかってくる。

 それが、サンプリングされた集団と関心のある層の集団との違いである。

 ≪真の「国民の声」知る方法≫

 では、その種のサンプリングが確保され、かつ集中的討論を確保する方法はないのかという問いが出てくるだろうが、すでに、それは「討論型世論調査」(Deliberative Poll)として確立された方法がある。全国民を母集団にしても、県民を母集団にしても、サンプリングによって世論調査を行うところまでは一緒であるが、その中から、サンプルの代表性を崩さず300人程度が1カ所に集まり、小集団の討論、専門家に対する質疑、政治家など政策担当者との質疑を、2泊3日(時により、短縮されるが)で行う方法は、世界中ですでに25回以上行われている。もちろん、交通費や宿泊費などは、タウンミーティングよりもかかるが、「本当の国民の声」を知ることができる方法である。

 そんなにいい方法があるなら、実践すべきと思うのが当然であろうが、この方法やフォーカスグループ調査(サンプリング無し)について何度か説明したことがあるが、政府広報担当者はほとんど興味を示さなかった。

 すなわち、国民の声を歪みなく聞くということは、最初から関心の外にあったという他ないのである。


まさにその通り。問題に強い関心を持つ人国民の意見を代表していると言う保障はどこにも無いわけで。
このタウンミーティングにも、日教組等からの組織的動員があったと聞く。それが果たして国民を代表する意見なのか。強い疑問が残る。


『じゃ、あんたも参加すりゃ良いじゃねえか』って?
私しゃ案外忙しいんだよ(苦笑)

さて、akiraさんのブログで指摘されて知ったニュース。そういえば、akiraさんの言うとおり、最近タウンミーティングの問題が話題に乗らないな・・・

そう問いかけると、うちのかみさんは
『握りつぶされちゃったの?』と、無邪気な事を言う・・・(苦笑)

さて、朝日新聞の記事を紹介しましょう。



TM業者入札「談合っぽい感じがする」 塩崎官房長官
http://www.asahi.com/politics/update/1221/013.html
2006年12月21日22時54分
 「正直言って、『一番安い』と言いながら、談合っぽいなあという感じがする」。塩崎官房長官は21日の衆院内閣委員会で、「やらせ問題」が発覚した政府のタウンミーティング(TM)の請負業者を決める入札について、こう指摘した。民主党川内博史氏の質問に答えた。会場での送迎が4万円といった単価設定にあきれたようだ。

 02年度以降のTMの運営は、一般競争入札電通朝日広告社が落札した。しかし、両社が高額な単価で契約していたことから、調査委員会は最終報告書で「社会一般の常識からは理解しがたい単価設定」と批判。塩崎長官は「応札してくる方も応札してくる方だろうし、中身のチェックを十分しなかったこっちもこっちだ。国民の税金の使い方をきっちり整理し直さないといけない」と、チェックを徹底する考えを強調した。


つまり、塩崎官房長官の発言をまとめると・・・


○入札で実施し、一番安いところに発注した。だけど、内容を調査したらやたらと高いって事に気づいた
○塩崎官房長官の感想は『こりゃ談合っぽいな・・・』である。
○何しろ会場への送迎が4万円だ。『世間一般の常識からは理解しがたい』
○『それで発注する国にも問題はあるが、応札する方もどうなのよ』
○最終的に落札したのは、電通朝日広告社だ。


ほぅ・・・これまで電通だけだと思ってたら、朝日広告社ってのも噛んでるんだ。
で、朝日広告社とは・・・


http://www.asakonet.co.jp/corp/history.html
(昭和18年) 戦時企業統合により、各新聞社は専属広告代理店を持つことになる。
八紘社は、「東陽社」と朝日新聞案内広告専門の「博通社」を吸収して、社名を「朝日広告社」と改称。

(昭和27年) 「株式会社 朝日広告社」発足。 社長三澤豊、資本金500万円。
個人会社から株式会社に改組し、 朝日新聞専属の骨格の上、総合広告代理店としての 肉付けに邁進する。
山梨支局開設。


なんだか、ちょっと雲行きが怪しくない?(笑)
朝日系列と言うわけでは無さそうだけど、朝日新聞との繋がりもあるような・・・

で、そこの会社が一般競争入札で応札した。
その価格が『入札の結果一番安かったにも関わらず、単価設定がやたらと高い』

つまり・・・







あまり触れられたくないところがメディア側にあるのかな?(笑)

塩崎官房長官は、税金の使い方について徹底的に調査する考えとか。







徹底的に調査してもらいたいもんです。