衆議院議員、阿部知子氏の釈明

イメージ 1

先日より、そのHPの内容について問題提起していた、社民党代議士 阿部知子氏のHPに釈明記事が載っていますね。検証して見ますか。

★☆ たくさんのご意見をちょうだいして ☆★
http://www.abetomoko.jp/  
 先回のメルマガには、たくさんのご意見を頂戴致しました。私自身の表現の足らぬ部分、また事実認識のあいまいさに起因する部分もあったと思います。そこで私の伝えたかったことと合わせ、皆さんからご指摘のあったことも含めて今回のメルマガとします。
 1995年1月17日未明の阪神淡路大震災は、6000人以上の尊い生命を奪い、家屋も街も瞬時に崩壊せしめました。
 この日、私自身は千葉県内の病院で小児科の仕事に追われながら、時折テレビに映る惨状を見て何か自分の予期し得ぬ重大なことが起こったことを感じてはおりましたが、日勤に引き続く夜勤でもあり夜中まで切れ間なく訪れる患者さんの対応に追われていました。
 やっと当直があけた翌18日の9時過ぎに突然、徳洲会グループの理事長である徳田虎雄氏から電話がありました。「何をしている。一刻も早く現地に行け!」というその声に押されるかのように徳洲会グループの医師達と大阪八尾徳洲会総合病院に集合、その後は病院から神戸の垂水病院に移動しましたが、到着したのは19日のことです。途中、大きくひしゃげた高速道路の橋げた、幅広くひび割れた道路など、テレビで送られる画像をはるかに上回る被害状況にそれこそ息を飲みました。
 以降、神戸の垂水病院を拠点に、見渡す限り焼け野原となった長田町や倒壊した家屋を目のあたりにしながら救急車に同乗していました。私自身の専門は小児科であるため、約一週間小学校内に臨時に設置された救援のテントで次々と避難してこられた方々の診療にもあたりましたが、命からがらの思いで逃げて来られた方々の中には、入れ歯すら持ち出すことができず食事も取れないご高齢者や子犬を必死に抱きしめてぼう然としている子供の姿など本当に胸がつまるものでした。
 そんな中でも、小学校の校庭の池にいる亀のまわりには子供達が集まり話を交わす光景もあり、どんな時にもやっぱり学校は地域の希望の場となっていることも実感しました。

 頂戴しましたご意見の中に、自衛隊が必死にがんばっていたことへの感謝が述べられたものも多々ありました。その通りだと思います。
 初動の遅れは、当時被災状況を迅速に把握し自衛隊の出動を要請する自治体側の被害がひどく、知事も含めて身動きがとれなかったこともあると思います。また、それを受ける内閣側の体制も情報収集など不十分でした。後にこの震災に学んで96年5月に内閣情報集約センターが設立されて今日に至っております。
 当時の内閣の最高責任者は村山首相であることから、村山首相の対応の遅れを指摘されるご意見もありますが、1月17日午前10時、国土庁長官を本部長とする非常災害対策本部を設置、午後4時に村山首相は、官邸で緊急記者会見を行い、万全の対策を講じることを表明しました。私を含めてだれもが未曾有の災害に対して、十分な判断や迅速な行動がなしえなかったことについて、多くの教訓が残されたと思います。
 その重い課題を受け止め、今なお癒えぬ被災者の抱える問題を解決するために今後も政治活動に努めます。
                                                 阿部知子



はい。全文紹介。一字一句間違いはありません。HPからのコピーですから。さて・・・


前の記事と比較して見ますか。

http://megalodon.jp/?url=http://www.abetomoko.jp/&date=20070121003206
> 阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。

と。



>頂戴しましたご意見の中に、自衛隊が必死にがんばっていたことへの感謝が述べられたものも多々ありました。その通りだと思います。
 初動の遅れは、当時被災状況を迅速に把握し自衛隊の出動を要請する自治体側の被害がひどく、知事も含めて身動きがとれなかったこともあると思います。また、それを受ける内閣側の体制も情報収集など不十分でした。





全く説明になっていません。
前の記事のどこに

自衛隊が必死にがんばっていたことへの感謝が述べられたものも多々ありました。その通りだと思います。』


という文意が読み取れるのか。

>日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。

明らかに、自衛隊の救援活動が遅れたことを非難しているようにしか読み取れないのは、私の読解力不足ですか、そうですか。

そして、意外な事実が。この人は、これまで阪神大震災の現場をテレビでしか知らず、無知ゆえに自衛隊の救援活動を非難しているのだと思っていた。ところが・・・


徳洲会グループの医師達と大阪八尾徳洲会総合病院に集合、その後は病院から神戸の垂水病院に移動しましたが、到着したのは19日のことです。途中、大きくひしゃげた高速道路の橋げた、幅広くひび割れた道路など、テレビで送られる画像をはるかに上回る被害状況にそれこそ息を飲みました。


現地で救援活動に参加しながら、自衛隊の活動が遅れたことを非難していたのかね。

医師として、現地で救援、救護活動をしていながら、彼らの活動を知らないわけ無いのではないのか。
彼女は無知なのではなく、現地の経験を忘れてしまったのか



そして、もう一つ。

> 当時の内閣の最高責任者は村山首相であることから、村山首相の対応の遅れを指摘されるご意見もありますが、1月17日午前10時、国土庁長官を本部長とする非常災害対策本部を設置、午後4時に村山首相は、官邸で緊急記者会見を行い、万全の対策を講じることを表明しました。

地震が発生したのは、5時46分。そして、村山首相が記者会見したのが午後4時。


05:46 地震発生
05:50 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ発進準備。
05:50 第三十六普通科連隊(伊丹)営舎内にいた隊員約三百人による救援部隊編成開始
06:30 百里基地、偵察のためRF4発進検討するも断念。4ヶ月前北海道東方沖地震でRF4が墜落、社会党の   追及で当時の指揮官が更迭されたため。
06:30 警察庁地震災害対策室を設置、大阪、京都、奈良などに機動部隊の出撃命令を出す
06:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、倒壊した阪急伊丹駅へ伊丹署の要請で先遣隊出動
07:14 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ1番機発進。高架倒壊等の画像撮影。出動要請がないため
    訓練名目。
07:30 村山総理に一報
07:30 陸自第3特化連隊(姫路)、県庁へ連絡部隊発進
07:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、阪急伊丹駅へ48人応援
08:00 官邸、防衛庁に、派遣要請がきているか確認するも、要請無し。
08:11 徳島教育航空郡所属偵察機、淡路島を偵察。「被害甚大」と報告。
08:20 貝原知事、職員の自動車で県庁到着。対策会議開くも派遣要請出さず
08:26 総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。テレビで情報収集。
08:45 村山「万全の対策を講ずる」とコメントを発表。
09:18 村山、廊下で記者に「やあ、大変だなあ」、視察はしないのかとの質問に
   「もう少し状況を見てから」とコメント。
09:40 神戸消防のヘリコプターが上空から市長に「火災発生は20件以上。市の西部は火災がひどく、東部は家屋倒壊が目立つ」と報告。市長は直ちに県知事に自衛隊派遣を検討するよう電話で要請。
10:00 村山、月例経済報告終了後廊下で、記者の
   「北海道や東北と違い今回は大都市での災害だが、対策は?」との質問に「そう?」とコメント。

10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。知事は事後承諾)
10:15 中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令(村山の指示で3000人限定。到着は2300人)

11:00 村山、廊下で会見。記者の「総理が現地視察する予定は?」との質問に、「状況見て、必要があればね」。「総理は行く用意はありますか?」、「そうそう、状況を見て、必要があればね」
12:00 新党さきがけ高見裕一、現地から官邸に電話。自衛隊増員要請するも、
    村山「高見は大げさだ」と冷笑
12:00 政府与党連絡会議中、五十嵐官房長官が村山に「死者203人」と報告。村山「え!?」と驚愕。


重大な事態だと把握するまでの村山総理の言動、そして、それまでの自衛隊の行動を比較して、それでも充分な事をやっていると言えるなら




あんた本物だよ。