リハビリ体験その6。恐らく生涯で一番痛かった一日、前編。

私の臨死体験、その後の入院生活、リハビリなどを書き記しています。
昨日書いたのは、脳外科での治療、リハビリが一段落して、整形外科に転院してからの事。

後から思えば、脳外科で何とか意識を取り戻し、安定した後、家の近くの病院に運んでいただくという処置も出来たのかも知れませんが、整形外科に移ってから、ウチの近くの病院に転院することを申し出た所までが昨日の事。

先生は非常に不愉快な顔をされており、その後の対応ってのは、とってもそっけない態度になりました。
ま、仕方ありません。

昨日、先生に話た事を思い出しながら文字起こししましたけど・・・

頭に強い衝撃を受けて、まだ言語障害が残ってる頃の事。昨日書いたように話せてはいないかもしれません。

頭に受けた衝撃の後遺症(というか、まだ症状そのものなのか)は当時色々ありました。

例えば、尿意のコンロトールが出来ない。気が付いたら、漏れてしまっている。

看護婦さんたちはその対策として、私のベッドのマットレスエアーマットに変えてくれた。



これが、最初のアクシデントの原因となる。

転院の手続きは無事に進んで行ったらしい。母は、その病院から、私の現在のレントゲン写真をもらって、霧病(当時は国立療養所霧島病院)のS先生に見てもらいに行った。
母がやってきて言う。
『先生は、受け入れOKだって。優しそうな先生だわ。レントゲンを見て、「もう、骨が形成されはじめているから、ひょっとすると手術しないでも治るかもしれないね」って言ってくれた』
と、話していた。今の内での病院内の扱いは、確実に悪くなってるけど、そっちの病院に移ったら手術なしで済むかも知れないと思ったら、我慢しようと思っていた。多少の事は。

○激痛の一日。
霧島病院に転院する日が来た。今度は救急車が使えない。商売をしていた伯父が仕事に使っていたライトバンを使って搬送してくれると言う。


『後ろの座席を倒したら、荷室に布団が引けたから、そこに寝かして運ぶからな』

病院のベッドから、ストレッチャーに移すときが来た。
当時の私の身長は今と変わらない、178cm位はあったろう。体重は今よりも軽い。60キロは無かったはず。それでも、ベットからストレッチャーに移すのは看護婦さんが数人がかりで抱え上げないと無理なわけで。

私の右足はどういう状態であったかというと、細い鉄パイプで組まれた足を乗せる台に乗せられていて、膝の少し上のところの骨に、太い針金が貫通してそれにおもりをつけて引っ張っている状態。
足を乗せる台は、足を少し斜め上に持ち上げるように傾きがある。それが、ベットの上に置かれている。


○最初の激痛。
看護婦さんが6人くらい来ただろうか。どうやって運ぶか軽く相談している。
一番小柄な看護婦さんが、私のベッドの上にのって、右側を持ち上げる事になったようだ。

最初に、右足の針金につけられたおもりが外された。一瞬、足が楽になる。
そして、足を固定する為に、足を乗せた台と私の右足が包帯で固定される。

次に、看護婦さんが、私のベットに登ってくる。ただ、看護婦さんは、
私のベッドのマットレスをエアマットに変えた事を忘れていたようだ。


ちょっと考えてみて欲しい。エアマットに、人が乗る。どうなるか。そこは大きく沈むよね。



看護婦さんがベットに乗り上げた瞬間、エアマットが傾いて、私の右足を乗せていた台が横倒しになった。




トンでもない激痛が襲ってくる。
大声で叫び声を上げた。
でも、言葉にならない・・・


母が、看護婦さんに、
『なんで、そんなことをするの!!足が折れてるのに!!』
と、抗議するが、看護婦さんたちは口々にこんなことを言う
『こんな時こそ、お母さんがしっかりして無いと』

こんな時にしっかりするべきなのはお前らじゃ。

○第二の激痛。
訳の分からん理屈を並べていた看護婦さんたちも、動揺してたのだと思う。私の足を固定した台を元の位置に戻した後、注意して運ぼうとしたのだろうけど。



『じゃあ、ストレッチャーに移しますからね』

と、私の体を持ち上げてストレッチャーに移すとき、私の口から第二の悲鳴が飛び出した。


肝心の右足を誰も持っていなかった。

まだベットに残っている足を(いや、外れてた訳ではないけど、ありえない角度には曲がってたな)ストレッチャーに戻され、ギプス室に運ばれた。

痛みで狂いそうな状態になりながら処置を待つ。足がとんでもなく痛い。でも、痛み止めの薬一つもらえるわけでもない・・・

第三の激痛

先生がやってきた。運ぶのに簡易的なギプスを作るのだという。ありがたいと思った。
固定されていれば、多少痛みが和らぐかと。

先生は、まず、膝の上の針金を引き抜いた。
何も言われなかったので、その痛みと感触に驚いた。でも、そんなのは足の痛みに比べたら大した事は無い。でも、後でそれが大きなツケとなる

次に、板状に伸ばしたギプスを用意して、私のところにやってきた。

同僚の先生が横で処置をしている。


『その患者さん、どうしたの?』
ん?この子はこの病院で手術を受けたく無いて言うから転院するんだよ


いや、そうじゃないっす。ここで受けたくないなんて言って無いです・・・と、口にしようとした瞬間。

先生は私の右足の足首を持って無造作に持ち上げた。



『★△*+!%&#!!!』

もはや、声にならない。右足は、明らかに、骨折した部分が関節になったように曲がってる・・・


文字数制限に引っかかりました。後編に続く。

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