これはなんという朗報。

韓国の大統領選挙が行われました。
その結果、大統領に選出されたのは李明博氏。先日、テレビ討論会で、その公約として


北朝鮮の復興のために、日本から400億ドル拠出させ、北朝鮮国民の生活を改善させる』
http://blogs.yahoo.co.jp/moai33jp/52606888.html

まるで、他人の財布を自分のものであるかのように発言された方。

これは、我らが
寒流スター★ノム様の後を継ぐべき大物の登場のようです。


<韓国大統領選>「サラリーマン神話」次期大統領当確の李明博氏とは
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071219-00000038-yonh-kr
【ソウル19日聯合】第17代大統領選挙を当選を確実としたハンナラ党李明博(イ・ミョンバク)氏は、屈曲の多い大韓民国の近・現代史とともに歩んできた。多くの60代がそうであるように、日帝植民地時代と独立、朝鮮戦争と自由化、軍事独裁政権と産業化、民主化と世界化に続く激動の波を乗り越えてきた。苦難と奇跡の歩みは、「神話」とも評されている。
 李氏は日帝占領下、1941年に日本の大阪で生まれた。貧しさのため中学入学当時から露店商などで生活費と学費を稼いだ。大学時代には、韓日会談反対闘争(6・3事態)の首謀者として、西大門刑務所に6か月服役した。そうした人生が逆転するのは、現代グループ創業者の故鄭周永(チョン・ジュヨン)名誉会長に出会ってからだ。

第17代大統領当確の李明博氏年譜

 大学卒業後に現代建設に入社し、2年と経たずに代理に昇進した李氏は、29歳で理事に、35歳で社長に上りつめ、その後最長寿CEO(最高責任者)という記録を築く。「サラリーマン神話」と呼ばれるまでになった李氏だが、1992年に、当時新韓国党代表でのちに大統領になる金泳三(キム・ヨンサム)氏から公認推薦を得て、第14代総選挙に出馬、政界に進出した。

 しかし、企業家・李明博にとって政治は生易しいものではなかった。1995年にソウル市長選出に向けた党内選挙に出馬したが敗北、翌年の総選挙には当選したものの選挙法違反で起訴された。この渦中の1998年に再びソウル市長の座を狙い党内選挙に挑んだものの、選挙法違反の裁判が終わらず、議員職を辞して米国に渡った。

 1999年末に帰国後、当時としては珍しかったインターネットバンキング事業を始めた李氏は、このときBBK疑惑の中心人物、金敬俊(キム・ギョンジュン)氏と会う。意欲的に新たな事業を起こそうとしていたところに金氏が金融当局の調査を受けたため、李氏は事業関係を清算2002年に3度目の挑戦でソウル市長に当選した。

 ソウル市長として4年の任期の間、清渓川の復元、公共交通システムの改編、ソウルの森造成などで株を上げ、今年、第17代大統領選に挑戦状を叩きつけた。多数の反対を受けた清渓川復元と公共交通システム改編などを成功させたことで強力な推進力を市民に印象付けた李氏は、保守政党所属でありながら、「実践する改革者」というイメージを築き上げ、理念、年齢、階層、地域にかかわらず幅広い支持を受けた。

 「経済大統領」「国家CEO」をスローガンに1年以上にわたり世論支持率トップを維持してきたが、青瓦台(大統領府)に向かう道は、その人生の逆転ほどに険しいものだった。長くはない政治経験に、栄誉と恥辱が混在していたのも事実で、政党史上最悪の激しい党内選挙と汎与党勢力との検証攻勢を耐え抜いた李氏だが、青瓦台(大統領府)の主となるには障害は大きいと指摘されてきた。大韓民国のために身を投じて働く、5年間死ぬ覚悟で働きたいと叫んだ李氏は、サラリーマン神話、清渓川神話に続き、大統領選神話を成し遂げた。



サラリーマン神話ねぇ(苦笑)
ま、35歳で現代建設の社長ってのはすごいかもしれませんが・・・


現代建設って、倒産寸前じゃなかったか?いや、倒産したのか?

しかも、その後の経歴もなかなかすごいものがあります。


>1998年に再びソウル市長の座を狙い党内選挙に挑んだものの、選挙法違反の裁判が終わらず、議員職を辞して米国に渡った。


裁判が終わらないうちにアメリカに出国するってのは、韓国ではアリなのか。


BBK疑惑の中心人物、金敬俊(キム・ギョンジュン)氏と会う。意欲的に新たな事業を起こそうとしていたところに金氏が金融当局の調査を受けたため、李氏は事業関係を清算

なんともグレーな付き合いのある方のようですな。


ま、韓国の大統領。コレくらいグレーな方の方が、似合っていると言えますかね。

で、この人、大阪出身なんですね。




韓国大統領選:ルポ 李明博氏が生まれた大阪・平野
http://mainichi.jp/kansai/news/20071220k0000m040151000c.html
 李明博氏は96年発刊の自著「強者は迂回しない」で、大阪生まれであることを明かしている。韓国の一部報道によると、現在の大阪市平野区加美南周辺で、現在は住宅街だが、戦前は牧場があったという。自著にも「(父は)牧場に雇われた」という記述がある。

 この地域で生まれ、戦前の様子を知る商店主の男性(77)によると、付近には牛乳工場と牧場が二つほどあったという。「牛をたくさん飼って、搾乳から加工、販売までしていた。自分も一升瓶を下げて買いに行ったことがある」と述懐した。

 牧場経営には、牧草刈りなど重労働がつきもので、相当数の朝鮮半島出身者が働いていたらしい。以前、牧場の一つを経営していた男性(65)は「うちでも朝鮮の人が働いていた」と証言した。自著には「故郷での作男の暮らしより大変な、辛(つら)い生活だった」として、父の姿を描いている。

 11歳で渡日し、戦前から近くで暮らす在日韓国人女性(88)は、李氏が付近の出身という噂を聞き、「身近にいた人が祖国の大統領になるとは。ほんまにええことや」と喜んだ。その上で「戦争は怖いし、祖国に残った兄弟は朝鮮戦争で全部死んだ。朝鮮半島を一つに、平和にしてほしい」と期待した。




これは、本当に在日韓国人の希望の星と言っても過言ではないですね。
在日韓国人として育ち、苦労して韓国に帰ってから事業家として成功し、政治家として頂点に立つという。

まさにコリアンドリーム。


日本にいらっしゃる在日韓国人の方も、彼に倣って・・・




コリアンドリームを目指したらいかがでしょうか。

もちろん、母国でね






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