中国終了のお知らせ、その91・・・『日本の救援隊撤収へ』

四川省で起きた大地震の被災者を救うために、日本からの救援隊が現地入りしていましたが、極めて残念な事に、被災者を救出する事が出来ず、被災者救出が絶望的な状態になった事を受けて撤収する事になったとか。
瓦礫の下で苦しんでいた人たちを救う事が出来なかった事、本当に残念な事です。



四川大地震>「2日早く来たかった」救助隊、撤収に悔しさ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080519-00000111-mai-soci
 【北川(中国四川省)稲垣淳、岡崎英遠】「あと2日早く来たかった」。日本の国際緊急援助隊四川省北川県の現場から撤収した19日、隊員は現場間の移動などに時間を取られ、1人の生存者も救出できなかったことに悔しさをにじませた。 

 生き埋めになった被災者の生存率は、72時間を超えると大幅に下がるとされる。救出活動は12日の地震発生から4日後の16日からで、当初から困難が予想された。

 また、都市型災害が専門の日本隊に山間部集落の救助を依頼するなど、初めて海外の救助隊を受け入れた中国側の不慣れな対応が追い打ちをかけた。

 隊員らによると、援助隊の使う地図は「集落の位置関係が分かる程度」で、被害状況も「どこに聞けば正確な情報があるのか分からなかった」という。詳細はほとんど現地でしか分からなかった。

 警視庁所属の隊員は「とにかく現場まで時間がかかった」と漏らす。東京消防庁ハイパーレスキュー隊所属の隊員は「生存確率の高い現場で、早く活動したかった」と、複雑な心境を明かした。

 一方で
「お客さんは危険な場所に行かせられないというのが中国側の姿勢。阪神大震災のとき、空港に降りたスイスの救助隊をまずホテルに案内した日本の対応に似ている」と指摘する幹部もいた。

 小泉崇団長は「今回は時間との勝負。困難な条件で隊員はよくやってくれた。ただ生存者の救出に至らなかったのは残念でならない」と話した。



阪神大震災の時、『なにぶん初めてのことですから』という名言を吐いた、社会党の眉毛の総理大臣と似たような対応だったって事ですか。
今回の日本の災害派遣チームは、中国では高く評価されたという話もありますが、成果をあげられなかったことで、その論調が変わる可能性もあるかも知れないですね。ま、その状態が普通だから驚きはしませんが。

さて、日本の災害救助隊に対し、中国の人民解放軍の人たちにはこんな見方もあったようで。



日本の緊急援助隊は煙たい? 住民歓迎も軍は「メンツが…」
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080518/chn0805182104011-n1.htm

 日本の国際緊急援助隊は18日、「いちるの望み」(隊員)をかけ、多くの生徒、児童が下敷きになった学校の倒壊現場での捜索・救助活動を始めた。ただ、同隊への感謝の声が絶えない被災民とは異なり、人民解放軍などの反応は手放しで「歓迎」とはいかないようだ

 中国政府が日本の援助隊を真っ先に受け入れたのには、日中関係の重視や国際協調をアピールする狙いがあったが、民政省などは「反日感情」を危惧(きぐ)し受け入れに消極的だったという。

 その懸念は、被災住民に関する限り払拭(ふっしょく)されたといっていい。しかし、捜索・救助活動にあたる軍などの間には複雑な感情がみられる。

 捜索・救助活動を現場で統括するのは基本的に人民解放軍だ。実際、大規模な災害時に救助や物資の輸送などを行えるのは、軍や消防などをおいてほかにない。

 17日、日本の援助隊は青川県の被災現場で活動したが、軍の兵士の1人は
「あれは日本隊だろ。早く帰れよっていう感じだ」と口走った。それ以外にも不快感を示した救助関係者もいた。

 ある中国筋は
「軍が仕切る現場で日本隊に生存者を発見させると思うか?」と話す。日本の援助隊に中国側が指定した被災現場は、すでに捜索を終えたか、あるいは巨大な土砂崩れで埋まり、中国側も救助などは「無理」だと判断した小学校だった。同筋は「軍などがいったん捜索し救助活動をすでに終えた現場で、もし日本隊が生存者を発見したら、それこそメンツが立たない」ともいう。

 それでも日本の援助隊が生存者を救出すれば、日中関係の改善にはプラスとなる。現場の軍関係者などによる感情の吐露は、日本から援助隊を受け入れる土壌が整っていないことを浮き彫りにしている。



台湾での大地震の時、ロシアの受け持ち地域を日本からの救援隊が応援するという申し入れを行ったとか。その時のロシアの救援隊の代表はこう言ったそうです。

『この救援活動は『競争』では無い。被災者を救出する為の協力の申し出に感謝する』
そうして、両者が協力して被災者の救出に当たった、と。

中国では被災者の救出よりも面子の方が重要なのか。



>軍の兵士の1人は「あれは日本隊だろ。早く帰れよっていう感じだ」と口走った

日本隊が被災者の救出に当たる事で、中国人民解放軍が困ることがあるのか。
『日本隊に頑張られたら、自分達も頑張らなきゃならない!!一人でも多く救出するぞ!!』
せめて、そんなライバル意識でも持ってくれれば、被災者のためになるってもんだが。


「軍が仕切る現場で日本隊に生存者を発見させると思うか?」と話す。日本の援助隊に中国側が指定した被災現場は、すでに捜索を終えたか、あるいは巨大な土砂崩れで埋まり、中国側も救助などは「無理」だと判断した小学校だった


そのような場所であっても、被災者の発見に努力した日本の救援隊の皆さんには、頭が下がる思いです。


以前、兵士として陥落直後の南京に入城されたご経験を持つ方の話を聞いたことがあります。
戦争がどのようなものであるか知らなかった私には、非常に新鮮に聞こえた話です。

戦争といえば、どのようなものをイメージするか。本土での戦闘が行われたのは沖縄だけ。それ以外の場所では・・・

本土への絨毯爆撃。原爆投下。焼け野原にしてから戦争終結進駐軍が乗り込んでくる

戦争とは、破壊行為、殺人行為だけであり、戦争が終了してからその場所の復興を行う。そういうものである。少なくとも私のイメージはそうでした。

中国で戦っていた方の話を聞くと、ちょっと違う。⇒http://blogs.yahoo.co.jp/moai33jp/19529508.html


各地方での戦いが終わった後は、救護班や処理班などが、戦後の処理をする。
一つ一つの家をまわり、残党などを探し、一般人がいた場合は、食べ物や医療的な世話をしてやり、
町が、健全な姿で生活できるように面倒を見てやり、また次の町をめざす。

これが、戦争・占領のやり方である、とのことです。

中国の町をめちゃめちゃにして歩くのではなく、
日本が勝利した場合でも、そのまま市民生活が安定するように
面倒をみるところまでが、一つの戦いに含まれているとでもいうのでしょうか。



考えてみれば当然の事です。日本国内での戦いではなく、中国という大きな国に遠征しての戦い。前線の軍隊に食料や武器の補給が出来なければ、終わりです。日本は南方戦線で補給が出来なくなって負けたようなもんですから。
戦争が終わり、占領をする。そこは、前線に対しての補給基地となる。だから、破壊されたインフラを整え、治安を維持し、そこに住む人たちに安定を与えて、拠点としていく。
そうやって占領すると、どこからとも無く商売人が現れて、町に秩序が生まれていく。そういうもんだ、と。
『そこにいる全員を殺す?そんな事したら、誰がその町を復興するんだ。日本の兵隊がそんな事やってたら、戦争なんか出来はせん。無人の街を後にして先に進んだら、誰が補給してくれるんだ。』

そう考えると、自然災害の復興にしても、イラクのような戦争の後の復興にしても、それを行うのが『軍隊である』と言うのは分かるような気がする。


フリーチベットブロガーズを立ち上げられた、『米流時評』のyasubeさんの記事、気になるところがあります⇒http://beiryu2.exblog.jp/7920757


現地の写真を見て不思議な現象に気がついた。膨大な数の人民軍が行進して現地入りしたのはいいのだが、みな手ぶらなのである。震災地での救助や道路開通に必要なつるはしとか、誰も持っていないのである。しかもCNNのレポーターが報道したように、目的地へ着くなり「集会」を開いて、歌をうたいシュプレヒコールを上げている。その瓦礫の下には、まだ数万人の人間が生死の境をさまよっているというのにである。
さすがに、この北京支局の記者も呆れたように「ここでは生き埋めになった何千という住民が死につつあり、その家族が泣いているというのに、彼ら(人民軍)にとっては主義主張の方が優先するようです」と痛烈な皮肉と怒りを込めてレポートした。



人民解放軍軍隊としては全然ダメなのかも分からんね・・・


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