『友愛』って何だね。
友愛ってのを口にする鳥類がいるそうです。サギの仲間だと言われていますが。
今は、居所がいなくなって、渡り鳥をしてるそうです。
北京で友愛呼び掛け=鳩山前首相、ファッションショーに出席
時事通信 5月7日(土)20時14分配信
時事通信 5月7日(土)20時14分配信
【北京時事】中国を訪問した民主党の鳩山由紀夫前首相は7日、北京で開かれたファッションショー「東京ガールズコレクション(TGC)」に出席した。ステージであいさつした鳩山氏が「私が友愛の伝道師、鳩山です」と自己紹介すると、数千人の観客から歓声が。東日本大震災での中国の支援に触れ「中国の救援隊はいち早く駆け付け、多くの義援金や物資も届いた。心からお礼を申し上げる」と謝意を示した上で、「文化、ファッション、音楽に国境はない。世界の国境がなくなり、平和になることを願っている」と訴えた。
早く絶滅してくれないかな、このアホウドリ。
>「私が友愛の伝道師、鳩山です」と自己紹介
とうとう、宗教家入ってきましたか。
>「中国の救援隊はいち早く駆け付け、多くの義援金や物資も届いた。心からお礼を申し上げる」
台湾からの支援の方が早く、大きかったのではないか?
それとも、『友愛鳥』にとっては、台湾は中国なのか。
>「文化、ファッション、音楽に国境はない。世界の国境がなくなり、平和になることを願っている」
あんたのファッションと嫁は、普通の感覚とは越えられない『壁』があると思うが
ところで、『友愛』ってどういう意味かな?
邦夫さんとの関係は修復できたか?どうでもいいけども。
『友人に対しての親しみの情』と言うとこういう事を言うんじゃないかな。
【東日本大震災】
東日本大震災で被災した宮城県石巻市などで活動中の陸上自衛隊第14旅団(香川県善通寺市)の隊員が、津波で児童の約7割が死亡・行方不明となった石巻市立大川小の児童とみられる女児から捜索活動に感謝する手紙を受け取った。コピーが他の隊員にも配られ、心の支えになっている。
手紙は動物のイラストが描かれた1枚の便箋に「つなみのせいで、大川小学校のわたしのおともだちがみんなしんでしまいました。じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります」とつづられていた。「日本をたすけてください。いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう」とも。
広報を担当する伊丹秀喜2等陸尉(47)は「手紙に大きな力をもらった。気持ちに応えられるよう、一日も早い復興に力添えしていきたい」と話している。
旅団では手紙をコピーし、多くの隊員が財布などに入れて持ち歩いている
記事をコピーするだけで、涙があふれてきました・・・
助ける人が、助けられる人に励まされる。
心無いアホウドリが覚えた言葉を『友愛~友愛~』って繰り返し鳴くのとは違う。
お互いを思いやりながら、そして、お互いが支えあっている。
ここにこそ、本来の『友愛』ってのがあるんじゃないのかな。
「きゅうすいのおにーさんへ がんばってください みんなでちからをあわせてがんばってください みずありがとう」(原文)
出動命令を受け、郷田3等陸曹が向かったのは茨城県北部。田中智顕(ともあき)3等陸佐を現地指揮官に特科隊員51人が3月14日から29日まで、駒門駐屯地(静岡県)の隊員と計85人で給水、給食活動を展開した。活動範囲はひたちなか市のほか北茨城市、高萩市、日立市など。避難所には被害が大きい沿岸部の住民が避難していた。余震は続き、震度4から5弱が1日10数回。
郷田3等陸曹は日立市の高台にある久慈中学校で給水活動にあたった。住宅被害を免れた住民らも水道が破損して隊の給水車に列を作った。1度に200人も並ぶ。1人が容器を持っていなかった。夢中で沿岸から逃げてきた人に容器はない。郷田3等陸曹はとっさに「バケツがあれば未使用の指定ゴミ袋を広げて入れて」とアドバイスした。間もなく1人がバケツに指定ゴミ袋を入れて郷田3等陸曹に差し出した。
隊員の勤務は午前7時から午後8時まで。避難所では給水を待つ列が続く。昼食をゆっくりと食べてはいられない。トラックの荷台で隊から支給された冷たいレトルト食品を胃袋に流し込む。郷田3等陸曹は被災者にできる限り声をかけた。「家は大丈夫でしたか」「けがは」。すると年配女性が「こんなものしかなくてごめんなさい」といってあめ玉をくれた。大切なあめ玉にちがいない。「こんなもの? これ以上のものはない!」。感謝した。
幼子(おさなご)からの手紙はそんな折に届いた。かわいらしい絵封筒に入っていた。便箋(びんせん)の裏に母親も書き添えていた。「寒い中の給水作業、本当にありがたい。隊員の一生懸命な姿に勇気づけられます。娘が手紙を書きたいというので私もお礼をと思い、書かせていただきました」。
被災して不自由な生活でも生き抜いてほしいとの思いが自衛官の業務を支えるが、被災生活を続ける住民の温かな心に触れ、郷田3等陸曹は「勇気と力をもらった」。
一方、田中3等陸佐は炊事班を統制していた。避難所の食事は救援物資の範囲で作る。コメだけならおにぎり。パンのみということも。すると田中3等陸佐は隊員に湯を沸かすよう命じた。「せめてスープだけでも」。あり合わせの材料でパンとともにスープを提供した。ある自治体には救援物資として姉妹都市から野菜や肉が届いた。コメはある。「カレーを作って」のリクエストに応えた。野菜の中にゴボウがあった。支給食材を使わなくてはならない。“ゴボウ入りカレー”となったが、冷たい体育館での避難者に湯気が上がるカレーライスは好評だった。
任務を終えた田中3等陸佐は話す。「余震が続き、大変な時期がまだ続く。第2のふるさとではないけれど自分たちが活動したことで(茨城県北部には)特別な思いがある」。「茨城愛」こそが自衛隊員自らを支えている。(牧井正昭)
その自衛隊員は、一部の人たちから偏見の目で見られ、海外で危険な任務に当たっても、身を守る事さえままならない。
そして、災害が発生したら、真っ先に住民の救出にあたる。
被災者の救援、そして、今は犠牲になった方の収容作業も行われる。
中には、あまりにも無残な被災地に戻る事が出来ないという人もいるとか。それも仕方が無い事だと思う。
彼らは、私たちと同じ心を持つ一人の人間ですから。
あまりにも悲惨な現地の作業、もし私なら・・・やはり、耐えられないかもしれない。
そんな現地で、自衛隊員を支えているのは、被災者の声なのか、と。
とりあえず、北京のファッションショーで鳴いてる『友愛鳥』は、
そのまま中国で飼われてろ、と。
(*あくまでも個人の感想です)
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さて、アフリエイト。CLUBTで探してみますと、『YES WE KAN T-シャツ』を発見
いい加減に解散しろっての。