夏休みの自由研究

遅めの夏休みをとって実家の鹿児島に帰っておりました。
その間、親を旅行に連れて行ったり、伯父が亡くなって親戚一同を集めて福岡まで連れて行ったり色々と大変でしたが、前から一度やってみたかったことを行ってみました。
 
我が家のルーツ探しw。
 
まー『お前のルーツなんか興味ないわ』って人がほぼ100パーセントと思います。
これは、自分のメモ的なものなのでご了解を。
 
さて、父を連れて市役所に赴き、すでに無くなった祖父から先、戸籍がさかのぼれる所まで遡って下さい、と。
市町村合併で今住んでる市と、父の実家があった町が合併しているので一箇所で済む。
これは珍しく便利な事。
 
そうすると、『遡れたのはここまでです』と数冊の戸籍謄本が手元に。
とりあえず、簡単に江戸時代まで遡れました。純粋な日本人確定ってやつですw
もっとも、わが故郷の鹿児島は、日本で一番在日さんが少ない、ガチ保守の見ですからそこを疑った事は無いのですが。
 
調べようと思ったきっかけはいくつかあって・・・
 
○私が就職する事になり、宴会を開いた時。父方の親戚から
 『お前は**家の本家なんだからしっかりとせんとな。うちらは分家だからな』
いや、そんな大そうな家じゃないだろうよ、ウチなんて(汗)
 
○帰省して、一人で墓参りしてお墓を掃除していたら、見知らぬ人が家の墓に近づいてきて
 『あら!!どなたですか?』
 私:『ここの家の息子ですが?』
 『まぁ!息子さん!!立派になって・・・』
 『私は**といって、昔、お屋敷に住まわせて貰ってた事があって』
 ウチがお屋敷ですか。どんな家だったんですか。
 
○とある易者さんに。
 『あなたの家は、昔は立派な人がいて大したものだったが、ソレを一気に失ってるね』
 他の易者の言葉が次々と当たっていくのに驚いて、過去にの遡って見るか、等と。
 
戸籍の束とにらめっこしながら、過去帳と比べたりしてると、不思議な事が次々に出てくる。
過去帳に乗っているけど、戸籍に無い人が居る。
また、戸籍には有るけど過去帳に無い人の方が多い。
過去帳に乗っていない人が家督相続していて、戸籍上は家の爺さんは次男。
また、一番遡ったところの畩次という人はどうやら江戸時代末期に他所から来た人の様子。
 
どうやらこの人が、薩摩藩で禁教とされていた一向宗門徒であり、鹿屋の辺りから迫害を受け、家を打ち壊されて逃げてきた人であった様子。
 
薩摩藩では一向宗キリシタンよりも厳しく弾圧されており、一向宗は『隠れ念仏』として本願寺とつながりを持ちながら信仰されていた。一向宗だという事が分かると、村全体が処刑されるという事もあったとか。
例えば、西郷隆盛奄美大島島流しにされる時、同じ舟に罪人として同乗した藩士の罪状は一向宗である事』が分かったからだとか。その藩士奄美大島切腹されている。
 
隼人に落ち着いて、徳田市ノ丞という人物の娘を嫁に迎え、居を構えた様子。
実家のあったあたりは、回り一体が徳田家の土地だったとか。
まあ、畩次という初代の人が人徳のある人物だったようで、身寄りの無い人を召抱えて隼人の地に落ちてきたらしい。
江戸時代生まれで身寄りの無い人達が、明治時代に亡くなった時、我が家の過去帳に記され、しかし戸籍には記されなかったという事か。
普通に明治時代に亡くなった人が戸籍に記録されている事をみれば、そういうことなのか、と。
 
ただ、そうすると不可解な事がある。畩次という初代の後を継いだ畩熊という私から見たらひい爺さんの兄が過去帳に乗っていないのは何でだ?
しかも、畩熊という爺さんの後に家督を継いでいるのは清彦という人物。
過去帳にも乗って無いし、墓にも入ってない。誰だ?と。
 
畩次という方は一向宗のとりまとめを行っていた人物。畩熊という人は、他所で口減らしのために間引きされようとされている子供を『では、私が育てよう』と引き取った養子であったらしい。
その後に、実子である私の爺さんが生まれた、と。
しかし、養子であろうと実子であろうと差別は無いというのが畩次という人の考え。
家督畩熊さんに。そして、畩熊さんから実子の清彦に。
この清彦さんの妹婿が、金融関係の仕事をしていて、『もうけ話がある』ということで、清彦さんは金を貸す。
 
⇒土地や財産ほぼ全て失う。
 
ついでに言うと、清彦さんの系統の男子は全て夭折
というか畩熊さんの系統は男子全て夭折
お墓で話しかけてきた人は、畩熊さんの女系の子孫との事。
 
そんな訳で、高祖父畩次の直系であるウチの爺さんに家督が戻ってきた、と。
 
かつて、他所の子をもらって家督を譲ったら、家が一気に傾いたということを、分家の人達は知っていて、私に対して『お前が本家なんだから頑張れよ』と口にしていたのか。
 
ってか、なんだかのろわれてるみたいな展開で、いろんな人の話を聞きながらガクブルですわw
 
僅かにのこった父の家の跡、売りに出した所、かつて墓参りの時に挨拶された畩熊さんの家系の方の手に売り出し価格の半額で渡り。我が家には何もなし。
 
まー因縁がありそうな土地は手放して正解だな、と父に伝えて帰って来たでござる。
 
どうやら、『人に良くして家が傾いた、いやむしろ何も無くなった』という意味では、易者さんの行ってた事も当たりだったんだな。
 
ま、そんなわけで。
 
という字は【けさ】と読む国事で、【袈裟】と同じ意味らしい。
やはり、坊さんだったんだろうな。
 
ま、ただの私事ですw
 
 

 
 
(*あくまでも個人の感想です)
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