日中戦争の頃の話

昨日、盧溝橋事件の時にその場にいらっしゃったおじいちゃんの話を聞くことが出来ました。

まずは、戦争前の中国の状況についてです

おじいちゃんの話をまとめるにあたって、一方の話のみ聞いて理解した気になるのは、やはりおかしいわけで、客観的に当時の状況を記した物を探して見ました。
とりあえず、手元にある本『南京事件証拠写真を検証する(著者 東中野修道さん他)』から、当時の状況を記した部分を引用してみます。(P26より)
以下青字は引用部分です


1930年代の中国大陸は、今日の中華人民共和国のように一つの統一された国ではなく、多くの軍閥が乱立する内戦状態にあった。このような内乱の大陸に、日本、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアなど多くの国の外国人が外交やビジネスのために居住していた。
 各国はこの内乱から自国民を保護すべく北支(天津から北京)に軍隊を駐屯させていた。これは、北京の外交官【ドイツ公使ケッテル男爵、日本国公使館書記生杉山氏】や外国人を『虐殺』(「辛丑条約」第一条、第二条、第三条の文言)した義和団事件(1899~1900年)ののち、1901年に結ばれた『辛丑条約』に基づく国際法上の権利であり、外国軍は首都の北京から山海関の海岸地で演習を行う権利をも有していた。



長く紹介しましたが、この話、昨日書き込んだ記事のおじいちゃんの話と、矛盾は無いようですね。

おじいちゃんの言っていた、国際法に基づいて出兵している』と言うのは、この『辛丑条約』に基づく出兵と言う事で、各国もこの条約に基づいて軍隊を出していたって事ですね。
そうすると、多国籍軍みたいなもんだ』というのも、意味が通じます。
蒋介石の軍隊だけでなく、馬賊と戦っていたという話も、『統一された国ではなく、多くの軍閥が乱立する内戦状態にあった』と符合しますね
これは、現代の例で言うと・・・



アメリカとイラクの戦争の後、イラクという国家はあるものの、全土を制圧している訳ではなく、各地の部族長や外部から入ってきたゲリラなど、各地で武装蜂起を行っている。

当時の中国は、今のイラクのような状態だった

という状態が読み取れます。もちろん、今では居留民がいるなんて言う事はありえない事ですが・・・その分、昔は兵器も異なります。
この辺の、兵器事情もそのうちに紹介します