吉水神社:奈良 吉野

吉野で最終目的地となったのは、吉水神社。
ブログでも大変お世話になっている、素心宮司のいらっしゃるところです。
素心宮司のブログはこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine

ここは、かつて吉水院というお寺であったそうですが、明治の廃仏毀釈運動によって衰退してしまいます。
しかし、かつて後醍醐天皇が吉野に南朝を開いたときの皇居であり、また忠臣の誉れ高い楠正成公にゆかりが深いことから廃れる事を惜しまれて
『吉水神社』として改めて神社として新たな歴史を刻んでいるとの事。
吉水神社の門の前です

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ここをくぐると、右手に一目千本という桜の名所があります。

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春には、ここが一面、桜色に染まるのです・・・
是非、満開の時に見てみたいものです。
が、ここは日本一の桜の名所。落ち着いて見る事は、難しいかも知れませんね・・・
吉水神社の本殿。これは、日本最古の書院作りの建物だそうです。
私達が訪れた時、他に参拝者はいらっしゃらず、とても落ち着いた時間が流れています。
お忙しいかと思いつつ、宮司様にご挨拶をと呼び出していただきました。


もあい:『失礼ですが、宮司様でいらっしゃいますか?』
宮司様:『はい、そうですが』
と、明るい声。
もあい:『はじめまして。ブログでお世話になっている、もあいです。』
宮司様:『ああ、もあいさんですか・・・どうぞこちらへ・・・』

恐縮な事に自ら御案内していただきました。
義経、弁慶潜居の間』で、昨年こちらに訪問した時の事や、今回こちらに訪問しようと思った事などお話をし吉水神社の歴史などについて説明をいただきながら記念撮影を・・・


失礼かとは思いましたが、お顔のところは、写真を加工させていただきました。
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ご好意で、なんと玉座の前で記念撮影することも許していただきました。

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宮司さんの胸には、ブルーリボンが。左手の青いバンドも、拉致被害者を解放しようという運動のものかも知れません。
吉水神社の縁側で、宮司になるきっかけとなったお話しから、勝手神社の火災、皇室典範の改正問題・・・
そこから、拉致問題に関わるきっかけとなった出来事など、不思議な『縁』があって今に繋がっていることを話していただきました・・・


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吉水神社の縁側からみた蔵王堂。この風景を宮司さんは愛しているのだとか。

『桜の季節ももちろん綺麗ですが、冬の朝、ここから見える風景は、本当に美しいですよ。右手の方から白い雲が上がってきて、雲海のようになったところに、あの蔵王堂が浮いて見える・・・寒いですけど、それを忘れて見入ってしまいます。』

私が訪問したとき、庭には雑草が生えて、『手入れされた』状態ではなかったのですが・・・
それでこそ感じる『あるがままの自然』がそこにあります。
とにかく、『ここに座って、ずっと空を眺めていたい・・・』そう思わせる場所です。
思えばここは、兄の源頼朝に追われた義経と弁慶、そして静御前が身を隠した場所
後醍醐天皇が皇居として使い、その息子の大塔宮護良親王もここにいた事はあったのだろう。
忠臣の誉れ高い、楠木正成は、確か後醍醐天皇が吉野に南朝を開く前に、湊川の戦いで亡くなっているはず。
しかし、その息子の楠正行は、四条畷の戦いに向かう前に、ここの後醍醐天皇玉座と、如意輪寺の上にある後醍醐天皇稜に拝礼し如意輪寺の扉に辞世の句を鏃で書き記して出陣している

その後、太閤秀吉は、ここを花見の本陣として吉野の桜を楽しんだ・・・

この縁側から蔵王堂を見上げる風景は、義経、弁慶や静御前が見たもの
そして、後醍醐天皇大塔宮護良親王。出陣前の楠正行が見たもの
また、天下人となった秀吉が見た風景と変わらないような・・・

ここに座っていると、そんな時間の流れを感じます。
とにかく、落ち着くばしょですね。

宮司様、また訪問させて頂きます。勝手神社の再建、応援させて頂きます。また、拉致被害者の家族が一日も早い再会が出来ますことを・・・



そして、この国の未来が、明るいものであることを祈りたいと思います。