三千院の裏、勝手神社:京都
勝手神社といえば、『勝利の神様』を祀る神社で、その大元は奈良の吉野にあります。 |
かつて、源義経と静御前が頼朝から追われ、吉野に逃げ込み、義経一行は山伏の装束に身なりを変えて大峯山中を逃げることになる。しかし、その道は『女人禁制』の道。静御前は同行することは出来ない・・・ |
義経は、家来に金銀を与え、静御前を落ち逃すようにしたが、静御前は囚われの身となり、この勝手神社の前で、舞いを踊らされたとか。 |
残念ながら、近年、放火によって総本山の勝手神社は燃えてしまい、復興の為の活動を行っているところです。 |
その勝手神社の宮司様は、このブログに良くコメントを下さる、『吉野の宮司様』でもあります。 |
勝手神社再建ご協賛趣意書
火災の中、宮司様が火の中に飛び込んで救い出した御神体は、勝負の神様の名にたがわぬ、凛とした武人の姿であるとか。 |
そのお姿は、かつての神仏習合の影響を考えると、仏教で言うところの『毘沙門天』に近い存在のように思えます。 |
さて、今でこそ『仏教』『神道』と別な宗教と考えられている二つの宗教は、かつては『神仏習合』と言われるように、別ちがたい関係にあったようです。 |
なんか、話がどんどんと飛んで行きますが・・・(^^;) |
先日、仏舎利展に行った時、『ロビーナ=カーティン師』から |
『日本の神道の教えはどんななの?あなた方はどこから来たの?あなた方に創造主はいるの?』 |
と、問いかけられ、聴衆している人たちが誰も答えられないために・・・ |
日本の神話と、神道の考え方について説明しました。 |
その時に、彼らの言う『創造主・神』と日本の『創造主・神』との間には、非常に大きな違いがあり、お互いに理解する事は難しいのだろうという事を感じたわけです。 |
神道は、天照大神を最高神とし、この国の創造主としては、イザナギノミコト、イザナミノモコトが存在する。それらの神は、絶対に従わなければならない存在では無く、父母のような存在に似ている。だから、他の宗教のような『戒律』『禁忌(タブー)』が非常に少ない。 |
そして、神道独自の『教義』と言うものも無いように思う。ただ、その教えには、『仏教の教え』の影響もあり、また、『仏教にも神道の儀式の影響』も見られるように思います。 |
そんなわけで、かつては大きなお寺には、その土地を守る神社が存在し、また逆に神社にもお寺が建てられる。いわゆる『神宮寺』ってのがあった、と。 |
そんなわけで、京都の大原にある、有名な寺院。『三千院』にも、そのお寺を守る神社があるわけで。 |
それが、勝手神社である、と。 |
ただ、その場所は、お寺の職員さんに聞いても、『そういえば、あったような・・・』というものでした。 |
寺の外に出て、上のお寺まで行って見たけど見つからず、諦めようかと思ったときに、僧侶の方が通りかかりました。 |
私:『すみません。このあたりに勝手神社があると聞いたのですが』 |
僧:『ありますよ。その道を入ってください』 |
今まで気が付かなかった、横に入る道が示されました。 |
な~んでさっき気が付かなかったんだろ。この前何度も通ったのに・・・ |
ちょっと入ってみると鳥居発見。 |
大原来迎印町鎮護 勝手神社 |
ここでありましたか・・・ |
参道を歩いてみますと、左右には石垣が積まれた立派な道が続きます。 |
途中にかかる橋は・・・ |
右側にはお稲荷様も祀られています。両方に手を合わし、お礼を・・・ |
昨年倒れた時に、吉野の宮司様のところで見た、勝手明神のお姿が目の前にありありと浮かんだ事は昨日の事のように覚えています。あの時、私は助けていただいたのではないか、と思っています。 |
さて、その勝手神社の本殿に奉納されている物。 |
なんだろ、コレ? |
舛のように見えるな。枡と棒か・・・ |
勝手神社だけに・・・ |
『勝ちマス』的な?(笑) |
色々と分からない事は多いですねぇ~ |