座禅を始めてます。

2年ほど前から、月に二回座禅の指導をしてもらっています。
寒い時期に、お寺の本堂で座る。
『只管打坐』
ただ座ると言ってもこれがなかなか難しい。

座禅を始める前に、お経を上げて、呼吸を整えてから座禅を始める。
『何も考えない』これって、本当に難しい。
次から次へと雑念が浮かびます。

『(姿勢を正して座ると)背筋と腹筋が痛い。』『足が痺れてきた』『あとどれくらいだろう・・・』

そんな雑念をそのままにして、『呼吸』に集中する。
『数息観』と言って、呼吸を数えるのです。
息をゆ~っくり吸って、ゆ~っくり吐く。それで『ひとぉ~つ』と数え、次の呼吸で『ふたぁ~つ』と。『とぉ~』と数えて、10まで行ったらまた1に戻る。
また、『ひとぉ~つ』と。

雑念など押さえられない。それはそのままにして、呼吸に意識を向ける。

ふと考えた。

私たちは、食べ物、飲み物、空気が無ければ生きていけない。
飲み物だけ取っていれば、何も食べなくとも一ヶ月ほどは生きていけるらしい。
飲み物を取らないと、3日で駄目だという説もある。一週間が限界だろう。
呼吸はどうだ。ホンの数分、呼吸を止めたら生きていけない。

この呼吸が止まったら、私は命を失う事になる。ほんの数分で。

空気の存在と言うのは誠にありがたい。
食べ物や飲み物と違うところはもう一つ。

空気の吸い溜めは出来ない。

空気が必要だからって、ずっと吸い続けてもやはり死んでしまう。

吸った空気は必ず吐かなければならない。
そうしないと、次の空気は吸えないのだから。


さらに、思った。

空気を吸い込む。空気中にある酸素は2割くらいだろうか。その酸素が人の命の源である。
でも、人はその二割の酸素を全て使うわけじゃない。

空気を吸い込んで、生きるのに必要な酸素だけいただいて、
その後はまたお返しする。


命を繋ぐのに絶対に必要で、そして溜めておくことは出来ない物。

それを、生き物は『必要な分だけいただいて、後はお返しする』

これが、命を繋ぐって事なのか、と。
そして、命が尽きる時、『息を引き取る』と表現される。最後は空気を吸って、お返ししないで終わるのか。

生きている間、空気を吸って、生きるのに必要な酸素をいただいて、残りはまた地球にお返しする。
出来るなら、お返しする時、少しでも綺麗な空気としてお返ししたい。
どうすれば良いか。

やはり、美しい言葉を口から出す。

そういう事にならないか、と。

人を謗る汚い言葉ではなく、美しい言葉を吐き出す事。正しい気持ちで息を吐き出す事

これが、必要な事なんだな、と。
そんな事を思いながら、座禅の時間が終わる・・・

今日はもっと座禅をしていたかった・・・もっと続けても良かったなと思いながら、半跏趺坐を解く。
足は痺れている。

そんなわけで、空気のありがたさを感じ、それを頂いて、必要な分の他はお返しする。

お返しする時には、美しい言葉を使おうと決意を新たにした私です。












でも、ね。

ブログでは相変わらず毒を吐くよぉ~♪


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