三発の銃弾について

ブログを通じて知り合う事が出来た、盧溝橋事件の起きた演習に、『仮設敵』として参加されていた、まさしく『当事者』のおじいちゃんの証言を紹介しています。

この『歴史の生き証人』書庫は、このおじいちゃんの証言を中心にまとめています。

今日も、新しく書かれた記事を紹介させていただきます。


三発の銃弾について 「戦争体験を語り継ぐ(9)」
http://plaza.rakuten.co.jp/taishouojiichan/diary/200601300001/

三発の銃撃のあと、日本軍は一発も撃たない。
(もちろんその前も撃っていない)
演習も中止になった。
支那軍もその後、一発も撃たない。
しんとした闇の中、どちらの軍もその後は一発も撃たない。

世界中で、この盧溝橋事件の事、三発の銃弾のことはいろいろ論じられているようだ。

日本軍からの発砲だというものもあれば、仮設敵が撃ったのだというものもあるようだ。

それは誤解であることを、伝えなければと思う。

我々仮設敵3人は、弾は一発も撃っていない。

しかし、その後、隊に戻った仮設敵3人は、近くに弾が落ちた事を隊の他の者に報告していない。

なぜ報告しなかったか。
今と違い、昔は軍の上からの命令に従うのみで、こちらから意見を言ったりするようなことはなかったのだ。
もちろん、聞かれれば答えたことなのだが、残念ながら何も聞かれなかった。
こちらから上官に余計な事を話しかける余地はなかった。
仮設敵は部隊編成から離れた兵である。
編成された隊員と違い、編隊から外れているので、
軍の中での会議などにも加わらないし、発言の場がない。
軽く見られていたように思う。


故に、この事は、現在まで、

日本軍も含めて誰も知らないことかもしれないのだ。

あの日、撃たれた3発は、一文字山にすべて落ちた。

この事を、皆さんに伝えたい。

今では、間違った証言などを元にそれがさも事実であるように語られている。
今まではそれを我慢してきたが、靖国神社問題をはじめ、先の戦争についてのみなさんの知識や気持ちを考えると、どうしても知っていることを話さなくては、と思うようになった。

(パソコン家庭教師の代筆)



盧溝橋事件が起きた演習の時、おじいちゃんは、『仮設敵役』つまり、演習時の目標役って事ですね。従って、演習の詳細について知らされる事は無く、発言の場もないというのは説得力があるように思います。
仮設敵役は、防戦の訓練を兼ねているわけで、事前に会議に参加するなどと言う事は、訓練の意味が薄れてしまう。もちろん、攻守の立場を変えての訓練と言っても、同じ軍同士。発砲するなどと言う事はありえないわけです。
そして、仮に敵味方役に分かれたことで、訓練期間中、そして訓練中に起きた事件の対応の過程で、その意見を聞かれることが無かったと言う事は、その通りであったかも知れないと思わせるものがあります。

この時、事情が聞かれていれば、伝わっている話も変わっていたかも知れませんね・・・

また、おじいちゃんに聞いた話をまとめて、レポートしたいと思います。