記念艦、三笠

そういえば、先日行って来たところがあります。


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横須賀にある、『記念艦、三笠』

100年前の事。中国の満州から朝鮮半島にかけて進出してきたロシアとの間に戦争がありました。日露戦争です。
明治37年の事。まだ日本は近代国家として歩み始めたばかりの小国。それに対して、ロシアは巨大な帝国です。国力でも軍事力でも到底敵うわけは無い。それでも、戦いを挑む他無かった。そうしなければ、事によると今の私達はロシア語を話していたかも知れないわけで。
日本は国力を傾けての総力戦となった。ロシアが強固な要塞を作っていた旅順。ここの激戦は『203高地』とか言う映画にもなり有名ですかね。

ロシアは、海軍の増強をはかって、主力艦隊である『バルチック艦隊』を日本に差し向けた。当時、世界最大の艦隊と言われたバルチック艦隊。これで、制海権を得ようと。

しかしながら、ヨーロッパから長い航海を続けてきたバルチック艦隊。途中、日英同盟に基づいて、イギリスがロシア艦隊の寄航を断わるなどのサポートもあって、乗員の士気も体力も限界であったのか・・・

両国が雌雄を決する事になった日本海海戦。その時の『旗艦』として、東郷平八郎元帥が乗船していたのがこの戦艦三笠。

今は、こうして横須賀の港でその体を横たえています。
東郷平八郎元帥が指揮を取った部屋の横から、船首の方を眺めてみます。


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日本海海戦に望む時、東郷平八郎元帥はここで何を思ったのか。
そして、戦いに望んだ軍人達は、どのような覚悟で戦いに望んだのか。


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これは、船首の方から指揮所を見上げたところ。

日本海海戦では、ロシアの艦隊は事実上壊滅。日本側の被害は、水雷艇3隻が沈没するだけと言いながら、100名以上の命が失われています。この三笠でも100名以上の死傷者が出たとか。
この日本海海戦の結果により、ロシアとの戦争は終結。結果、帝国ロシアの力は弱まり、その結果、ロシアの圧力に苦しんでいた国々は解放され、帝国ロシアは、革命によって滅びてしまう・・・


そのあと、共産党政権となったこと以外は良いことづくしって所ですかね。

この記念艦三笠。乗船券を売るところで気が付いたのですが・・・



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自衛官は安いのか・・・


ってか、『自衛官5名』のボタンは押されることが有るのか?

ちょっとした疑問です。


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