一文字山の星空(終)

HDDから出てきた、盧溝橋事件に遭遇したおじいちゃんの手記。
盧溝橋事件については今回で終わりになります。明らかな誤字のみ手を加えております。


五、
 時間が近ずいたぞ 信号をよく見てろ と 丸々上等が言った 私は 永定川方面を睨んだ数分後ぴかぴかと光った 来たぞ 丸々上等兵ピカピカとしん号を送り返した
待ちに 待った夜間演習が開始されるのだ 数秒後 かすかに ぱん と音が聞こえ 私の右四、五メートルのところを鈍い音で飛んでいった 続いて 稜線から五、六メートル下の所に ぼすっと音がした 左上空を弾は弱った鈍い音をのこして飛んでいった 私は 疑問をもった 中隊が 実弾を撃つのかな 私は余計な口を出さずに黙っていた 三人共沈黙の状態で 中隊の攻撃してくるのを 待ち構えていた
  三十分 一時間たっても 兵隊の攻撃はなかった 星の位置が移動しておる感じがした 地球が回っているからだそんな事を考えて大きな星小さな星 私が十二三歳位の頃見つけた 三ツ星 信州伊那谷の杉林の間から大きく 上から一二三と並んだ星 私妹二人 三人の星だと決めていた 大人になって分ったオリオン星座も鎮座していた
苑平県城から夢の世界から聞こえて来たメロデーも何時しか静まり返って 無の夜景であった
さすがの 丸々上等兵も どうしたのかな と 呟いた 仮せ敵である私達は 攻撃の遅さと 緊張で一文字山の稜線で立ち尽くしていた
 ばさばさ と 草を踏み分けてくる音がして 丸々と呼びながら登って来る兵隊がいた おう ここだ どうした 中止だ戻れとよ そうか 私達は どんな理由か知らないが 本隊に帰って行く準備をした
 一文字山を下山する時 もう一度星空を見上げた 星達は 益々大きく 私を取り巻いて見送ってくれた
 中隊に帰った 高桑上等兵初年兵の指導兵に 一文字山から帰りました と 報告した ご苦労 と言って上官
 の方へいつた 初年兵たちは 私が来たので おい 支那の奴らが我々を撃って来たんだ と話しかけてきた 
 私は ほう如何して いや分らん 上官達が協議している様だ 私は そうか それで夜間演習が取りやめになったことを知った 馬で 大隊本部 一木少佐の所へ伝令が飛んだらしい
 真っ暗な、闇の中で、腰を下ろして銃を抱え黙して、命令を待っていた下士官達は清水節郎大尉の下で協議とゆうのか、作戦とゆうのか固まって時間のたつのも、疲れなぞ考える余裕も無く緊張の様子が見えた
 時間はそんな事件には関係なく進んで行く空の星は完全に角度を変えて輝いている
 そろそろ夜明けとなるのでは、何となく動きが、見えてきた私達八中隊外の兵も終結して来るのか何となく体系が膨らんだ感じだった東の地平線が明るくなって来た兵隊達も眠気から覚めておる
 分隊の位置が多少変わって移動した
 大きく輝く星が幾つか残っていて、空の星は皆きえていた



            一文字山の星空 この地で盧溝橋事件となり戦いが始まる
静かな 北支の平野に 考えても居ない事変が起きてしまったのか 世界の人民は日本の侵略と簡単に片付け 支那は日本軍の不法を唱え 私達支那駐屯軍の初年兵は始めての夜間演習を大変な又興味深くしかも厳しい演習だと考え全兵隊ははりきって行動したのだった 攻撃目標は一文字山である 開始の合図 ok の合図 戦闘開始である この時 後ろから はつきり 言うと 支那軍方面 永定川の方か竜王廟かの兎に角後方から 発砲して来たのである 指揮する清水節郎大尉中隊長以下兵隊は 驚く事明白であった
その 状況を見て全てを知って居るのは 一文字山の平野を輝く大空の大星軍と 一文字山に 立っていた 仮せ敵である
馬に乗り豊台の本部に伝令が走り 一木大隊長が 現場に着き 牟田口連隊長も着て会議があり 苑平県城の二十九軍 宋鉄元将軍との話し合いが行われた 城の石垣をよじ登り城に入り話し合った 牟田口連隊長は丸く治めて日本の駐屯軍の平和を願い再度白旗をかざして城に向かい石垣を登り話合いしたが 駄目であった 交渉に当たった人は 二十九軍とは親交の深い人物であったらしい
私達初年兵は 牟田口連隊長の所から数人の兵隊に守られて城に向かって行く情景をはっきりと固唾をのんで見守っていた しかし 決裂 野地少尉の 戦闘隊形をとれ支那軍から発砲して来た 突撃 私は夢中で突進した右 左の兵も走っていた 野地少尉が打たれて軍刀を振りながらもんどり返ってたをれた 誰かが少尉を抱きかかえ 行けの合図に私は前え走った 壕があった壕の中に飛び込んだ支那兵はずらりと倒れており 前に進んだ永定川に来た立ち止まった 進め 進めの号令に川に飛び込んだ やられたぞと鉄橋の方で叫んだ見ると川の中でもがく兵を抱えておる姿が目に入った兎に角川を渡らなくてわ胸辺りでだんだん膝位の浅瀬であった
鉄橋の真ん中位の所で白馬の尻尾を振りかざしておる将校がいた一木隊長にも見えた私わ向こう岸に着いた兵隊は前え進んでいった 土饅頭がいくつもあった 私は銃剣を突け綺麗に掃除してある墓を駆けた一つの土饅頭の陰から 支那兵が立ち上がった 私は その兵に突けの動作で体当たりをした 見事倒した まだ若きラッパ兵であった 暫くして止まれ 引けの号令で 永定川を渡り帰った
中隊は 集合点呼を取り分隊は 装備を整え守備についた 山崎 高橋伍長分隊長の所に駆けて行き不動の姿勢で立った これから 連隊本部へ行け 指揮班え 行くんだ はい 私は復唱して 場所を聞いた 百メートルさきの丘の上に 陣どっていた 指揮班を尋ね 八中隊から参りました山崎です不動の姿勢で答えた 軍曹であった 八人初年兵は私一人であつた 将校達二十名程居て何やら議論していた 十メートル下に 連隊旗を囲った六名の兵隊が規律厳しく陣どっていた 私はこの時始めて軍の厳しさ日本の連隊の勇ましさを感じた 軍曹は私達を連れて原野を永定川の鉄橋近くまで進ませて 止まれ 其処には一分隊が居て 血まみれの寝かされた 二人の兵隊を囲んで 涙を拭き乍ら私達の来るのを待っていたのだ タンカに乗せ雨カッパを被せた 何の答えも無く 痛いとも言えない 兵隊 私はタンカの後ろの左の棒を持った 軍曹の合図でタンカを持ち上げた 見送りの兵隊達の敬礼を後にして 連隊本部の丘に向かった タンカを下ろした原野に咲いた名も知らない花を取って 戦死兵の胸の上に供えた 丘に着くまでの間 私は涙が続いて止まらなかった
牟田口連隊長が動く姿 将校達が入れ替わり立ち代り忙しく動く様子が戦死者を付き添っておる私には良く観察できた 数時間後 戦死者を向かえに来た 車に乗せ 本部指揮班の役目は終わった
 最後のこの文を パソコンに打つ時65 年前の思い出を真実に書こうと思い メールを打ちました 傷痍軍人会の私の記録を読まれ沢山の人 学生のかたから メール 電話 私を遠い町から訪ねてこられた方々に有難うと感謝のお礼を申しあげます 要点は 満州事件 支那の盧溝橋事件の真相を追究する質問が多かったので 私は直接に関係ある人間でありました盧溝橋事件をメールに記録しました
私が最後に知って頂きたいことは まだ軍の動作規律もろくろく知らない兵隊が何故事件を起こせるか又そんな訓練中の兵隊を使って戦をする軍隊が何処に有りますか 外国人 日本人の中にも まるで現実を見て来た様な発表をしております マスコミ 学校の教員は特に良く勉強して判断して頂きたい 此れからの日本の為に
    一文字山の星空 おわり



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昭和十二年七月二十八日
私は 南苑城の戦いで 高粱畑の中で負傷小隊は全滅状態てした 同日同夜 通ショウ で 慰留民 婦女子供数百人の残虐女性の陰部に棒等立て去った支那軍 であって 駐屯軍は孤立袋の鼠でたつたのです 次回からは 負傷しての体験を記録して メールを発表します
 私は、考えた、毛沢東共産主義者達、北京の大学生、青年、女性達、影武者の様な活躍振り、十二億人の民衆の中で一つの主義を物にした つわもの 見事に蒋介石と日本を戦わせ、社会主義の旗を翳して蒋介石を追い詰め、八路軍となり日本軍を目の回る程山岳戦にひつぱり込んで梃子ずらした 抗日運動、盧溝橋事件の発砲は、彼らの仕組んだ発砲だよ、と支那人が話しておるのを聞いた 未だに 私は 考えるのであつた 毛沢東の完全な勝り、しかし、社会主義と資本主義のミックスした国がどんな事に成るのか 十二億の人間が どう発展するのか?   パールハーバー と 原子爆弾は、絶対に、やめて貰いたかつた




 
(*故人の残された手記の紹介です)
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