吉野 如意輪寺(1)
吉野での見仏の旅。次は、如意輪寺です。
ここは、南朝を起こした後醍醐天皇のお墓があるところです。
もう一つ、有名なものが・・・
忠臣として名高い、楠正成の息子、楠正行の辞世の句が刻まれた扉が残されているのです。
帰らじと
かねて思わば
梓弓
亡き数にいる
名をぞとどむる
『放たれた矢のように、再びここに帰る事はないであろう。
今は亡き人の所にいく、この名をここにとどめておこう』
そんな意味でしょうか。
足利軍の大軍との、絶望的な戦力差。再び帰ることのない事を悟って、この詩を詠んだのでしょう。
その時、どのような思いで、詩を刻んだのか・・・
楠正行公は、髻を切って、ここに埋めて決戦の場に向かったそうです。
後村上天皇より、正行公の奥方にとお言葉があった方がいらっしゃったそうですが
彼を見送った後、髪を切って尼になり、正行公の菩提を弔われたとか。
正行公の詩
とても世に
永らうべくも
あらぬ身の
仮のちぎりを
いかで結ばん
それに対する、弁内侍の詩
大君に
仕えまつるも
今日よりは
心に染むる
黒染めの袖
その時、楠正行は23歳だったとか。
あの。。。お二人、本当にそんなにお若かったの?(^^;)
どこかに『伝説』が入っている可能性は否定できなくても・・・
あまりにも立派すぎます。ちょびっと自分が小さく見えてしまうもあいでした。
如意輪寺の案内の表紙と、お寺にある『難切り地蔵』、そして、多宝塔の写真です。
訪れた時、まだ咲いていなかった桜、ここでは咲いていました。
ここは、南朝を起こした後醍醐天皇のお墓があるところです。
もう一つ、有名なものが・・・
忠臣として名高い、楠正成の息子、楠正行の辞世の句が刻まれた扉が残されているのです。
帰らじと
かねて思わば
梓弓
亡き数にいる
名をぞとどむる
『放たれた矢のように、再びここに帰る事はないであろう。
今は亡き人の所にいく、この名をここにとどめておこう』
そんな意味でしょうか。
足利軍の大軍との、絶望的な戦力差。再び帰ることのない事を悟って、この詩を詠んだのでしょう。
その時、どのような思いで、詩を刻んだのか・・・
楠正行公は、髻を切って、ここに埋めて決戦の場に向かったそうです。
後村上天皇より、正行公の奥方にとお言葉があった方がいらっしゃったそうですが
彼を見送った後、髪を切って尼になり、正行公の菩提を弔われたとか。
正行公の詩
とても世に
永らうべくも
あらぬ身の
仮のちぎりを
いかで結ばん
それに対する、弁内侍の詩
大君に
仕えまつるも
今日よりは
心に染むる
黒染めの袖
その時、楠正行は23歳だったとか。
あの。。。お二人、本当にそんなにお若かったの?(^^;)
どこかに『伝説』が入っている可能性は否定できなくても・・・
あまりにも立派すぎます。ちょびっと自分が小さく見えてしまうもあいでした。
如意輪寺の案内の表紙と、お寺にある『難切り地蔵』、そして、多宝塔の写真です。
訪れた時、まだ咲いていなかった桜、ここでは咲いていました。