大福生寺:大井の聖天さん
子供の頃、近所にあった荒れ寺が私の遊び場でした。
お寺に行くととても落ち着きます。
まあ、神社も遊び場だったから、神社も好きなんですけど、こっちは友達と遊んでたっていう記憶が多くって、それに対してお寺のほうは、一人で遊んでたな~と。
大人になっても、色んなお寺を回っています。回っていく中で、やはり『素朴な信仰心』ってのが芽生えてくるんでしょうか。
仏像を見ているのは好きなんだけど、最近は『見ることの出来ない秘仏』を前にして、その信仰に思いをはせる事が多くなってきました。
特に現世利益を重視するような密教の世界などに興味を覚えております。
それを不思議に思いながらも、最近は、密教と呼ばれる分野の本などを読み漁っています。
そういえば、交通事故にあって死の淵からよみがえった時、縁あって密教の系統を汲む教団に身を置き、在家の身で修行をしてた事ってのもあります。『千座行』ってのを三回。三千日欠かさず勤行をするってヤツです。
たしか、2500日くらいで辞めたんじゃなかったかな。三千日で満行だったんですが、『二千日でも大したもんです』と言ってくださる方もいらっしゃいますが(^^;)まあ、一応、千日が区切りなんで、二千日満行ってのは言えるのかも知れません。
『修行はともかく、何か言ってる事とやってる事がおかしくねーか』という疑問が生じて、別に執着も無く止めてしまったんですが。
まあ、3000日続けてても、獲るものは無かったのでしょう。それから20年近く。あちこちの仏像を見、お坊さんの話しを聞いたり、座禅に参加したりという中で・・・また再び興味を感じて勉強しているって所なわけです。
現世利益を重視する密教、それを突き詰めていくと、『聖天信仰になる』と、いつもお世話になっている京都の某お寺の御住職はおっしゃいました。その時は『そんなものですか・・・』と思っていたのですが、何だかんだと縁が続きまして、今まさに私の中で学びたいテーマは『聖天様』となっています。
そんなわけで。一部の方には有名でしょうが、こちらに行って参りました。
先代の御住職、白戸快昇師は、ご祈祷に極めて験がある方であると言われていたとか。
こちらには、『聖天様(大聖歓喜天)』が祀られています。この『聖天様』は天部の御仏尊と言われています。つまり、仏様と言うよりは『神様』と呼ぶにふさわしい方。したがって、お寺の入り口には鳥居があります。まあ、『ただの神仏習合の名残ではない』って事でしょうか。
極めて賞罰の厳しい御仏尊と言われていますので、畏れながら、斜めから一枚。
『その筋』では有名なお寺ではありますが、決して大きなお寺ではありません。
住宅地に囲まれた細い路地の先にぽつんとある印象です。
車で言ってしまった事をえらく後悔しました(^^;)
ナビは途中で『目的地に近づきました。音声案内を終了します』と冷たい声。目の前には東芝病院の有料駐車上の入り口のゲートだけ・・・
『車、ここに止めたらええがな』というご配慮だったのかもしれません。
参拝し、お寺の方を探して目的を伝えます。お寺の呼び鈴を押して中の人を呼ぶようにとの事。
目的とは・・・
『聖天信仰の手引き』
文学博士であり、実業家としても大成功を収め、聖天様を篤く信仰されていたの林屋友次郎氏の著書。
これが再版を重ねたもの。
前からこの本を求めて色々と探して居ったのですがみつからず・・・
つい最近、この本は、この大井聖天さんで発行されていると言う事が最近わかりました。
『どちらからいらっしゃったの?』そう聞かれて、住んでる場所かと思って答えようとしたところ・・・
『待乳山からですか?』この本を買い求めに来る人は、どうも限られているようで(笑)
私:『いえ、私は、**聖天さんにちょっとご縁がありまして、勉強してみようかと思いまして』
『あら、そうですかぁ~まずはこの本をお読みになるのが一番ですよ』と。
かつては、待乳山聖天や、生駒聖天でも売られていた事があったそうですが大井聖天の白戸快昇師が急逝された後、本は大井聖天さんで引き取って、こちらで販売されているとか。
まだ全て読みきったわけではないのですが・・・
一見すると真逆であるこの両者。密教を突き詰めていって、現世利益をもたらす天部の仏尊に対しての考え方は・・・
ぐるりと一周して、同じ事を言っているのかなと感じます。
なんか、この『個性的な天部の御仏尊』に興味を持ったのは、命がけで親鸞聖人の教えを伝えてきた我が先祖の計らいのような気もしてきました。なんだか不思議な気分です。
ま、現実世界に戻って、大福生寺さん。私と考えが一致している事が分かった一枚を。