萬松寺:大須

ご無沙汰しています。
一週間ブログの更新もしていないのに、100名を越える方が来訪してくだっていることに感激しております。
また、激励のコメントも頂いております。
有難うございます。感謝感激です。
 
まーね、土曜日くらいはブログ更新しても、ね。(笑)
 
そんな訳で、暑かった今日一日、こんな格好で過ごしておりました。
 
 
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まさに、私にぴったりの言葉では無いかと。
でも、こーして見ますと、私の姿勢は左側に傾いているのでしょうか。
むしろ、右側に傾いていると自覚してますけども。
後ろ姿はですね。
 
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人間五十年
 下天のうちを比ぶれば
    夢幻の如くなり
 ひとたび生をうけ
    滅せぬ者のあるべきか
 
 
いや~人生が五十年なら、もーすぐ終わりになっちまうね、実際問題として。
 
このT-シャツが目に止まったのは、名古屋の大須通りの地味な洋品店
店のおじさんに、『このディスプレイ、サイズあります?』と聞いて出てきたLLサイズ。
支払いをする時に、店のおじさんが、『大うつけは、ここが本場ですからねぇ~』とのお言葉を。
意味が分かりませんでしたが、その数分後に『本場』の意味が分かりました。
 
洋品店からちょっと歩いて角を曲がりますと、お寺がありまして。
 
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へー身代わり不動さんで、お稲荷さんもいる、と。お寺の名前は・・・
 
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亀岳林萬松寺
 
いや、まだピンと来なかったんですけどもね(^^;)
 
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織田信秀公の墓所織田信秀公って、信長公のお父さんですかい。
 
 
 
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すると、お父さんの葬式で抹香を投げたってのは、ここのお寺ですかい。
 
そんで、大うつけの本場ってことですか。
 
まあ、意外な場所で手に入れた本場物ってことで。
 
このお寺の残念な掲示
 
 
 
 
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からくり人形、見た~い。
早く修理してください。萬松寺さん。なかなか行ける所じゃ無いけども。
 
門前では、色んなグッズが売ってました。
 
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天下統一を果たす寸前で亡くなった織田信長公。
その伝えられている伝説の中には、極めて残酷な一面もあれば、極めて合理的な政治を行った一面もあり。
賛否は分かれるにしても、日本の歴史を変えた一人である事は間違いないでしょう
本能寺の最後、一番最後に織田信長の声を聞いたのは、女中であったとか。
 
『女、子供は早く逃げなさい』
 
と、それが織田信長の声を伝えた最後であると言われているそうで。
 
 
 
 
21世紀の今、日本を統べている人物は、今日もすべり続けているようです。
 
 
 
そんなわけで。これは無し
 
 
 
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(*あくまでも個人の感想です)
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さて、アフリエイト。CLUBTで探してみますと、こんなT-シャツを発見。
 
 
もう消えてくれないかな、日本の為に。
 
 
被災地の皆さん頑張って下さい!!
行方不明者の捜索、及び復興支援にあたっている、自衛隊海上保安庁、消防、警察、その他有志の方々の安全をお祈りいたします。
原発で命がけで作業に当たってる方も、どうかご安全に!!
お薦めは気分を変えて